Re: 永富部隊長
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/27 14:11 投稿番号: [27630 / 41162]
摘み読みするから馬鹿が寄り馬鹿になる。
国士舘では、「忠君愛国」を一貫して説く同県人の蓑田胸喜教授に師事し、当時の「右翼」を次々と紹介されて人脈を広げた。そして、右翼の大物・頭山満の家に7度かよいつめて門下生となり、軍国主義思想を固めていった。
37年12月、永富は「愛国学生連盟」の国士舘代表として、他の11校の代表と共に、上海から南京への視察・慰問ツアーに参加した(南京到着は下旬)。列車が南京に近づくにつれて、線路の両側に中国人の死体がだんだんと増えていくことに驚いた。
ある日、南京難民区(安全区)で日本人将校が中国人数百人に対し、「この中で国民党軍の兵士がいたら、われわれが未払いの給料を払い、職の世話もする」と呼び掛けた。申し出た20人ほどの男性は日本軍のトラックに乗せられ、永富ら学生十数人も同乗した。
下関で車を降り、アンペラ(むしろ)の囲いの中を中国人らを連行して進むと、そこには何千もの人間の死体がころがっていた。そして、長江(揚子江)のほとりまで出た。
将校は1人の中国人を前に出させ、永富ら学生に向かい「東京に土産話を持って帰れ」と言って刀を振り下ろし、その中国人の首をはねた。首から上の部分が地面にゴロンと落ち、切り口から血しぶきを吹き上げる胴体が前にドスンと倒れこんだ。
すぐ後ろにいた中国人はびっくりして走りだし、川に飛び込んだ。永富はとっさに日本兵の短銃を借りて、水面に浮き出た男の頭を撃ち抜いた。頭からは血が流れ、男は流されていった。
これは メッセージ 27626 (fukagawatohei さん)への返信です.
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