南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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大物右翼の回想

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/01/21 09:16 投稿番号: [26997 / 41162]
google参照)

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児玉誉士夫随想・対談「われ   かく戦えり」より

満州でも蒙古でも日本人の進出するところ必ず派閥が伴ない、お互いがいがみ合っていた。戦乱の北支と内蒙を旅して感じたことは、日支事変にたいする本質的な矛盾と疑問だった。ことに驚かされたのはいたるところの戦場に奮戦する中国軍の頑強さと抗日思想の激しさであった。

それに比較して日本軍幹部の堕落と、兵の素質の低下は全く意外であった。もちろん、まだ全般的にはそうではなかったが、特務機関とか謀略参謀の職責にある人々の日常は、皇軍の崇高な精神をまったく忘却したものであった。機密費の乱費、酒と女、こうした暗い影が占領地都市のいたるところにみられた。

自分は日本を発つ前に外務省情報部長河相達夫氏を訪ねて、外地を旅するに必要な援助と注意を受けたが、そのとき河相氏が数枚の写真を見せて「これが天皇の軍隊がすることだろうか」と言って憤慨していたが、それは現地にある日本軍が中国の婦女に暴行を加えている、みるに堪えぬ写真であった。

そのとき、ふと、これは中国政府が民衆に抗日思想を宣伝するためのトリックではなかろうかと疑ったが、いろいろなできごとに直面してみると、この写真は真実であることを肯定せざるを得なかった。

当時、大同では「大同に処女なし」という言葉があったが、この言葉の意味は日本軍の恥辱を意味するものであった。また占領地の寺や廟に行ってみても仏像の首などが無惨にとり毀され、その壁には「何年何月何部隊占領」などと落書してあった。

人間が神や聖人でないかぎり、どこの軍隊でも若干の非行はあるとしても、当時、日増しに激化してきた中国の抗日思想の源が満州事変のみではなく、こうした日本軍の常識はずれの行為がさらにそれに拍車をかける結果となったのだと思う。

満州事変以来、国防国家の確立に名をかりて政治権力を獲得することに狂奔してきた軍の首脳部は、部下にたいする統御力をしだいに失ってきていた。陸軍大臣が中央にあったロボット化されていたと同様に、軍首脳部もまた現地軍を統御できなかった。

そして現地軍の幹部は将校、兵士の非行を取締まるには、あまりにもその行いは威厳を失墜するものがあった。要するに軍部内に革新派が生まれ、首脳部がそれを政治的に利用し、政治的に進出するにつれて下剋上の思想は軍全体に漲ってきたのだった。いわば当初国内政治を革新することを目的とした、少数の下級将校の行動は知らぬ間に軍自体の規律を破壊し、日本軍を思想的に崩壊される結果となった。軍部内の下剋上のこの思想が結局日支事変を誘発し、そして現地における不規律を助長するようになったといえる。

要するに戦線の詔勅なき戦争、名分の明らかならざる戦い、日支事変は畢竟、王師ではなく、驕兵であったかも知れぬ。自分は戦場を旅し、大陸における実情を知るにおよんで、在支百万の日本軍が聖戦の師であるか、侵略の驕兵なるかの疑問に悩まざるを得なかった。

このことは自分のみならず現地を知るものの多数が考えさせられた問題であったと思う。しかし国民のなかの多数の者がそれを自覚し得たとしても、すでに軍国主義の怒涛が逆巻き、もはや何人の力をもってしてもそれを阻止することは不可能であった。

そして、この軍国主義の怒涛は、昭和四、五年以来、政党不信をスローガンに、国民大衆が挙げた革新の叫びとその雰囲気のなかから生まれでているとすれば、そして自分もまたその革新勢力のなかの一つの勢力であった右翼派の一つとして行動してきたことを思うと、支那大陸に野火のように拡がって行く軍国主義日本の現実をみて、自らも悔いねばならぬもののあることを知った。

(「われ   かく戦えり」   P78〜P80)

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