南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 日本の世襲議員 と海外の世襲議員

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/10/22 08:12 投稿番号: [26279 / 41162]
各国における農奴制
フランスやイングランドなど西ヨーロッパでは時代が下るにしたがって地代の支払い方法が、労働地代→生産物地代→貨幣地代と変わっていき、中世の終わり頃までには農奴制は解消されたとされる。

一方エルベ川以東の東ヨーロッパでは、中世末期において封建領主が農民の自由な移動を禁じるなど、農民に対する支配を再び強化させた。大航海時代以降は、西欧で商工業の発展が進む中、東欧は西欧に対する穀物供給地としての役割を果たした。こうして、西欧経済と結びつけられた形で、農奴制的な状況が創出された。


オーストリア
18世紀後半、東欧各国で啓蒙専制君主が出現して近代化政策を推進した。オーストリアでは皇帝ヨーゼフ2世が、1781年に農奴解放令を出して農奴制廃止を図ったが、貴族など抵抗勢力の反発を招き改革が頓挫したため、事実上農奴制は温存された。最終的には1848年革命によって農奴制は廃された。


プロイセン
プロイセンの農民は、王領地の農民、貴族の農場領主制(グーツヘルシャフト)下におかれた世襲隷属民、西欧的な自立性の高い農民の3つに類型化できる。1807年、ナポレオンに敗北した屈辱から始まった一連のプロイセン改革で、これらの農民に対する土地売買の自由などが規定され、職業選択の自由など人格的自由が確立した。

しかし、これらの改革は地主本位のものであった。農民は、人格的自由は手に入れたものの、土地の多くは地主に与えられた。こうして、地主層は労働力を隷属農民から農業労働者に切り替え、資本主義経済に適応していった。こうしたことから、プロイセンでは土地貴族(ユンカー)がのちまで政治、社会の中心となった。


ロシア
15世紀末にイヴァン3世が農民の移転を制限した法典(1497年法典)を定めると、のちのイヴァン4世も同様の法令を定めた。最終的には、17世紀に成立したロマノフ朝の初期までに、農奴制の立法化が完了した。歴代皇帝は、ピョートル1世にみられるように、近代化を推進する財源を確保する必要性から(農奴制自体は近代化から逆行するが)農奴制を強化していった。しかし、1856年のクリミア戦争における敗北によって近代化の必要性を痛感したアレクサンドル2世が、1861年に農奴解放令を出したことで農奴制は廃された。


中国(チベット)
中華人民共和国は、旧チベットがダライ・ラマを頂点とする僧侶、貴族の専制による封建農奴制社会であり、チベット仏教の寺院では農奴を人身御供にする習慣があったと主張している。 この主張に対し、これまで諸外国では目立った反論がないため、事実として見なされている。これはダライ・ラマの死後次の代のダライ・ラマを探すという制度からしても農奴或いは奴隷的な制度を持たなかったとは必ずしも断言できないからである。

戦後、農地をタダ同然で貰った小作人達。一人も農業では喰えない。

喰っていけるのは大地主だけ。是は世界共通。
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