「ちよん斬つてしまうといふことになった」
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/15 21:06 投稿番号: [25948 / 41162]
前述したとおり、すくなくとも日本軍には
中国兵捕虜に対しては
他国の兵士のような処置は不要である、という差別意識が根付いていた。
さらに、念頭に置くべきことは、日中戦争が全面化し始めたとき 陸軍は、
これを「戦争」ではなく「事変」であるから、戦時国際法は適用しない
と決定したことだ。
支那駐屯軍が華北で総攻撃を開始した直後の1937年8月に発令された
日本軍の指令書 「陸支密第198号支那駐屯軍参謀長宛陸軍次官通牒」
『交戦法規ノ適用ニ関スル件』には、次のように示されている。
一、現下ノ情勢ニ於テ帝国ハ対支全面戦争ヲ為シアラザルヲ以テ
「陸戦ノ法規ニ関スル条約其ノ他交戦法規ニ関スル諸条約」ノ
具体的事項ヲ悉ク適用シテ行動スルコトハ適当ナラズ
さらに、「日支全面戦ヲ相手側ニ先ンジテ決心セリト見ラルル如キ言動、
例ヘバ戦利品、俘虜等ヘノ名称ノ使用」は 努めて避けよと指示している。
つまり、国際法規は適用しない、俘虜という言葉は使うな、と命じたのだ。
中国兵は 国際法上の捕虜として処遇しなくともよい と言うことになる。
こうした軍中央部の方針は、ただちに 現地軍に伝えられた。
捕虜はつくるな、捕虜にせず殺せ、と現地軍は 受け止めた。
とくに 上海戦での苦戦から敵愾心にあふれた第一戦部隊に、
捕虜の中国兵を躊躇なく殺す例が数多く見られたのは こうした理由だ。
「他列国人ニ対スル如ク必ズシモ之レヲ後送監禁」する必要などはない、
「之レヲ殺害」しても「問題トナルコト無シ」と侮蔑していた中国兵だから
わざわざ収監したり 護送するなどの、面倒な処置は 必要ない。
そのうえ、「国際法規を気にする必要はない」と 指示されたのだ。
陸戦条約に基く人道的扱いなど、日本軍の念頭から消えたのは当然だった。
日本軍の包囲網が完成したことにより、南京城内及び周辺地域には
少なくとも 10万人程度の中国兵が 逃げ遅れて投降したと推定される。
これに対し 日本軍側には、捕虜収容の用意は まったくなかった。
これを裏付けるものとして、
大量の捕虜の処置に窮し、上級司令部が殺害を命じたという証言がある。
南京での捕虜殺害について 次のような証言が残されている。
さういふやうな勢で捕虜も相当出来たけれども、捕虜に食はせる物も
ない。 さういふ状態で戦闘しつつ捕虜が出来るから始末することが
出来ない。 それで ちよん斬つてしまうといふことになった。
それで大したことではないのだが、南京の東南方の鎮江との間の所で
一万余の捕虜があつたのだけれども、そんなのは無論追撃中だから
戦闘中と見てもよろしい、又捕虜となつても 逃亡する者もあるし、
始末が付かぬものだから シヤーシヤーと射つてしまつたのだ。
その死骸が川に流れた。それから問題になつたのだ。
(吉田裕『南京事件と国際法』より)
他国の兵士のような処置は不要である、という差別意識が根付いていた。
さらに、念頭に置くべきことは、日中戦争が全面化し始めたとき 陸軍は、
これを「戦争」ではなく「事変」であるから、戦時国際法は適用しない
と決定したことだ。
支那駐屯軍が華北で総攻撃を開始した直後の1937年8月に発令された
日本軍の指令書 「陸支密第198号支那駐屯軍参謀長宛陸軍次官通牒」
『交戦法規ノ適用ニ関スル件』には、次のように示されている。
一、現下ノ情勢ニ於テ帝国ハ対支全面戦争ヲ為シアラザルヲ以テ
「陸戦ノ法規ニ関スル条約其ノ他交戦法規ニ関スル諸条約」ノ
具体的事項ヲ悉ク適用シテ行動スルコトハ適当ナラズ
さらに、「日支全面戦ヲ相手側ニ先ンジテ決心セリト見ラルル如キ言動、
例ヘバ戦利品、俘虜等ヘノ名称ノ使用」は 努めて避けよと指示している。
つまり、国際法規は適用しない、俘虜という言葉は使うな、と命じたのだ。
中国兵は 国際法上の捕虜として処遇しなくともよい と言うことになる。
こうした軍中央部の方針は、ただちに 現地軍に伝えられた。
捕虜はつくるな、捕虜にせず殺せ、と現地軍は 受け止めた。
とくに 上海戦での苦戦から敵愾心にあふれた第一戦部隊に、
捕虜の中国兵を躊躇なく殺す例が数多く見られたのは こうした理由だ。
「他列国人ニ対スル如ク必ズシモ之レヲ後送監禁」する必要などはない、
「之レヲ殺害」しても「問題トナルコト無シ」と侮蔑していた中国兵だから
わざわざ収監したり 護送するなどの、面倒な処置は 必要ない。
そのうえ、「国際法規を気にする必要はない」と 指示されたのだ。
陸戦条約に基く人道的扱いなど、日本軍の念頭から消えたのは当然だった。
日本軍の包囲網が完成したことにより、南京城内及び周辺地域には
少なくとも 10万人程度の中国兵が 逃げ遅れて投降したと推定される。
これに対し 日本軍側には、捕虜収容の用意は まったくなかった。
これを裏付けるものとして、
大量の捕虜の処置に窮し、上級司令部が殺害を命じたという証言がある。
南京での捕虜殺害について 次のような証言が残されている。
さういふやうな勢で捕虜も相当出来たけれども、捕虜に食はせる物も
ない。 さういふ状態で戦闘しつつ捕虜が出来るから始末することが
出来ない。 それで ちよん斬つてしまうといふことになった。
それで大したことではないのだが、南京の東南方の鎮江との間の所で
一万余の捕虜があつたのだけれども、そんなのは無論追撃中だから
戦闘中と見てもよろしい、又捕虜となつても 逃亡する者もあるし、
始末が付かぬものだから シヤーシヤーと射つてしまつたのだ。
その死骸が川に流れた。それから問題になつたのだ。
(吉田裕『南京事件と国際法』より)