Re: 日本の枢軸国の運命、、傀儡政権の崩壊
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2008/08/05 03:58 投稿番号: [24980 / 41162]
>だから
張作霖を爆殺することで
ソ連はどれほどの役があたんだろうかね?って聞いてるんだけど
応えてないよ
あんだは、、、ん。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=552019566&tid=cf9q&sid=552019566&mid=65960
◆張作霖爆殺事件(1928.6.4)
http://hanatatibana.cocolog-nifty.com/hibizakkan/2006/04/post_43dd.html
(橘正史氏)
しかしながら、一つだけいえることは、この張作霖爆殺事件の関東軍謀略説の成立過程には、ソ連の影が色濃くあるということだ。東京裁判で証言をした田中隆吉はソ連国家保安省に取り込まれていた。また、河本大作の手記なるものが公表されたのも死後のことである。また、事件当初から、日本には張作霖を暗殺して得られる利益が無いこと、つまり動機不在であることがアメリカの中国駐在公使のジョン・マクマリーにも指摘されている。東京裁判では、パル判事が、検察側の主張を退け疑問を呈していることもあげてよいかもしれない。
「すでにまえに触れておいたように、リットン委員会は「この殺害事件の責任の所在はいまだかつて確定されたことがない」と報告している。その報告がなされるまでは、この悲劇は神秘の幕に被われていたが、右の報告は日本がそれに共謀関係を持っていたのではあるまいかという疑念を起こさせたのである。/さて、この疑念に関して留意すべきことは、張作霖は怨み深くそして強力な敵をもつという点については不自由したことがなく、日本にしても、またいわゆる策謀者らにしても、かれの壊滅によって利益を被る立場になかったということである。」
「かようにして日本は張作霖の死亡によってなんらうるところなく、またかれの死亡後に起こった事柄には、日本側の企図の存在を示すようなものはなにもなかったのである。」(パル判決書第4部全面的共同謀議より)
日本は日露戦争勝利以来、満州権益の保全に腐心し、満州軍閥の張作霖と協力関係を築いてきた
・蒋介石の北伐を、山東出兵して妨害するほど張作霖に肩入れしていた日本には、北京から満州に退却直後の盟友を爆殺する動機が見当たらない。
・爆殺の結果、日本には、①長年の盟友喪失と②国際的信用失墜という実害だけが残ってしまった
・一方、1924年に外モンゴルの共産化に成功していたソ連は、コミンテルンを通じて中国共産党を指導し、また中国国民党に浸透して中国全土を共産化する計画を推し進めていた。(これは後に実現)・・・ソ連には動機があり且つ事件から実益も得ている
⇒以上から、機密資料の示す通り、ソ連が日本と満州軍閥の関係を裂く目的で、張作霖爆殺を仕掛けたと考える方が辻褄が合う。
河本大作大佐は、一九五三(昭和二十八)年に中国の太原収容所で悲惨な獄死をとげた。翌年『文藝春秋』(昭和二十九年十二月号)に「私が張作霖を殺した」という「手記」が出た。「日本犯行説」を当然のものとして疑わない多くの著者がこの「手記」を引用している。ところが、これは河本の自筆ではなく、義弟で作家の平野零児氏は「私が河本の口述を基にして筆録したもの」であると言っている(『特集文藝春秋』昭和三十一年十二月) 。「基にして」というところが、どうもひっかかる。そもそも口述録音もなく、真筆でもなく、本人の死後現れたものが手記などと言えるのだろうか。
平野氏は著書『人間改造』を見ればわかるように、中共の収容所で強烈に洗脳され、一九五六(昭和三十一)年に帰国した人である。彼が中共で受けた「マインド・コントロール」の解けないまま、特殊目的をもった文章を書き綴ったとしても何の不思議もない。
P83
『正論』2006年5月号・瀧澤一郎『張作霖を「殺った」ロシア工作員たち』
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/26510769.html
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=552019566&tid=cf9q&sid=552019566&mid=65960
◆張作霖爆殺事件(1928.6.4)
http://hanatatibana.cocolog-nifty.com/hibizakkan/2006/04/post_43dd.html
(橘正史氏)
しかしながら、一つだけいえることは、この張作霖爆殺事件の関東軍謀略説の成立過程には、ソ連の影が色濃くあるということだ。東京裁判で証言をした田中隆吉はソ連国家保安省に取り込まれていた。また、河本大作の手記なるものが公表されたのも死後のことである。また、事件当初から、日本には張作霖を暗殺して得られる利益が無いこと、つまり動機不在であることがアメリカの中国駐在公使のジョン・マクマリーにも指摘されている。東京裁判では、パル判事が、検察側の主張を退け疑問を呈していることもあげてよいかもしれない。
「すでにまえに触れておいたように、リットン委員会は「この殺害事件の責任の所在はいまだかつて確定されたことがない」と報告している。その報告がなされるまでは、この悲劇は神秘の幕に被われていたが、右の報告は日本がそれに共謀関係を持っていたのではあるまいかという疑念を起こさせたのである。/さて、この疑念に関して留意すべきことは、張作霖は怨み深くそして強力な敵をもつという点については不自由したことがなく、日本にしても、またいわゆる策謀者らにしても、かれの壊滅によって利益を被る立場になかったということである。」
「かようにして日本は張作霖の死亡によってなんらうるところなく、またかれの死亡後に起こった事柄には、日本側の企図の存在を示すようなものはなにもなかったのである。」(パル判決書第4部全面的共同謀議より)
日本は日露戦争勝利以来、満州権益の保全に腐心し、満州軍閥の張作霖と協力関係を築いてきた
・蒋介石の北伐を、山東出兵して妨害するほど張作霖に肩入れしていた日本には、北京から満州に退却直後の盟友を爆殺する動機が見当たらない。
・爆殺の結果、日本には、①長年の盟友喪失と②国際的信用失墜という実害だけが残ってしまった
・一方、1924年に外モンゴルの共産化に成功していたソ連は、コミンテルンを通じて中国共産党を指導し、また中国国民党に浸透して中国全土を共産化する計画を推し進めていた。(これは後に実現)・・・ソ連には動機があり且つ事件から実益も得ている
⇒以上から、機密資料の示す通り、ソ連が日本と満州軍閥の関係を裂く目的で、張作霖爆殺を仕掛けたと考える方が辻褄が合う。
河本大作大佐は、一九五三(昭和二十八)年に中国の太原収容所で悲惨な獄死をとげた。翌年『文藝春秋』(昭和二十九年十二月号)に「私が張作霖を殺した」という「手記」が出た。「日本犯行説」を当然のものとして疑わない多くの著者がこの「手記」を引用している。ところが、これは河本の自筆ではなく、義弟で作家の平野零児氏は「私が河本の口述を基にして筆録したもの」であると言っている(『特集文藝春秋』昭和三十一年十二月) 。「基にして」というところが、どうもひっかかる。そもそも口述録音もなく、真筆でもなく、本人の死後現れたものが手記などと言えるのだろうか。
平野氏は著書『人間改造』を見ればわかるように、中共の収容所で強烈に洗脳され、一九五六(昭和三十一)年に帰国した人である。彼が中共で受けた「マインド・コントロール」の解けないまま、特殊目的をもった文章を書き綴ったとしても何の不思議もない。
P83
『正論』2006年5月号・瀧澤一郎『張作霖を「殺った」ロシア工作員たち』
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/26510769.html
これは メッセージ 24964 (todorigafuti さん)への返信です.