Re: 支那が埋めた化学兵器(毒ガス弾)???
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2008/07/02 23:25 投稿番号: [24323 / 41162]
>おいおい、、張作霖
長学良
は関東軍日本政府によれば
満州人じゃなかったのか?
満州は満州人のモノじゃなかったのか?
張作霖はもともとは支那人だと聞いたが、満州は満州人のものであることは確かであり、だからこそ満州諸省の満州人たちは武装盗賊(張学良ら)が追放されると次々と独立宣言をして溥儀を迎え入れて満州国を建国した。
>>それは満州事変の30年近く前の話で、まだソ連も出来てないときの話だろ。
>馬鹿なことを 書くんじゃないよ、、勉強しなさいね。
オマエがな。
>>後年においては両方の要素があったが、日露戦争当時の目的は日本や朝鮮の防衛が目的だった。
>アホぬかせ!!石原完爾の陸軍大學での講演において すでに 日本は東北部の農村に疲弊を解消するために満州の農地が必要であり日本の次男三男農民を満州に移植し 満州の資源が日本には必要だと だから満州を占拠すべしと幹部候補生を前に宣ってる
石原完爾の陸軍大學での講演はいつだ?
日露戦争は1904年〜1905年で、満州事変は1931年〜1933年だから、後年(満州事変の頃)においては両方の要素があったが、日露戦争当時(1904年〜1905年)の目的は日本や朝鮮の防衛が目的だった。
日露戦争に至るまでの背景と経緯
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/4825194.html
(一部抜粋)
――――――
日本においては、外交政策の主要問題に関する意見が2分されていた。一方の有力者たちは、露国勢力と対抗するために欧州に同盟国を求むべきこと、そして斯かる同盟は英国を措いてないことを強硬に主張した。だが、日本の最も卓越した政治家伊藤公の率いる他の1団は、日本は露国に挑戦し得るほど強大ではなく、英国との同盟は安全よりはむしろ危険を多く包蔵し、日本の執るべき道は、満州における露国の覇権並びに朝鮮における日本の覇権という原則の上に立って露国と妥協することにあると主張した。
これに基づいて露国と協定を結ばんとする努力が繰返されていたが、一向に成功しなかったのである。即ち日本は1898年に露国に提案し、『もし露国政府が朝鮮に関して同様の宣言をなす用意があるならば、日本政府は満州並びにその沿岸は全く日本の利害関係の範囲外と見做す用意がある』と言明した。しかし露国政府は、満州に関する日本の態度に『大なる満足』の意を表しはしたが、朝鮮に関してそのような保証を与えることは拒絶した。事の真相は、ロシアが、陸軍国としての日本を蔑視し、日本の歓心を買わんがために何らかの譲歩をなす必要は毫も認めなかったものである。
『世界政治と東亜』G・F・ハドソン著
――――――
日露開戦が避けられない事態に進展したのは、北清事変後のロシア軍満州撤兵をめぐる対立だった。日英両国の抗議により、ロシアは清国と満州返還の条約を結んで第一期撤兵を行ったが、翌年には撤兵するどころか兵力を増強して満州地域の要塞を強化、さらには朝鮮半島への進出を意図して・・・
『日本海海戦の真実』 野村実著
――――――
>あほぬかせ、、戦費も無く イギリスに借金に行ったが アジアの小国がロシアと戦争して勝てるわけもなく 貸した金はドブに捨てるようなものだと イギリスの金貸しからは一銭も借りることは出来なかったんだよ。
で、「日露戦争当時の日本の目的は日本や朝鮮の防衛が目的だった」ということで良いのだな。
>あのな 義和団事件以後 清国はロシア軍に駐留を求めたんだよ、、しかし日本軍はロシアだけを残すことは、、ってことで 無理矢理居残った結果 居直り強盗みたいなもんだけどな、、ほんでロシアを追い出しにかかったってことだ
で、「日露戦争当時の日本の目的は日本や朝鮮の防衛が目的だった」ということで良いのだな。
張作霖はもともとは支那人だと聞いたが、満州は満州人のものであることは確かであり、だからこそ満州諸省の満州人たちは武装盗賊(張学良ら)が追放されると次々と独立宣言をして溥儀を迎え入れて満州国を建国した。
>>それは満州事変の30年近く前の話で、まだソ連も出来てないときの話だろ。
>馬鹿なことを 書くんじゃないよ、、勉強しなさいね。
オマエがな。
>>後年においては両方の要素があったが、日露戦争当時の目的は日本や朝鮮の防衛が目的だった。
>アホぬかせ!!石原完爾の陸軍大學での講演において すでに 日本は東北部の農村に疲弊を解消するために満州の農地が必要であり日本の次男三男農民を満州に移植し 満州の資源が日本には必要だと だから満州を占拠すべしと幹部候補生を前に宣ってる
石原完爾の陸軍大學での講演はいつだ?
日露戦争は1904年〜1905年で、満州事変は1931年〜1933年だから、後年(満州事変の頃)においては両方の要素があったが、日露戦争当時(1904年〜1905年)の目的は日本や朝鮮の防衛が目的だった。
日露戦争に至るまでの背景と経緯
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/4825194.html
(一部抜粋)
――――――
日本においては、外交政策の主要問題に関する意見が2分されていた。一方の有力者たちは、露国勢力と対抗するために欧州に同盟国を求むべきこと、そして斯かる同盟は英国を措いてないことを強硬に主張した。だが、日本の最も卓越した政治家伊藤公の率いる他の1団は、日本は露国に挑戦し得るほど強大ではなく、英国との同盟は安全よりはむしろ危険を多く包蔵し、日本の執るべき道は、満州における露国の覇権並びに朝鮮における日本の覇権という原則の上に立って露国と妥協することにあると主張した。
これに基づいて露国と協定を結ばんとする努力が繰返されていたが、一向に成功しなかったのである。即ち日本は1898年に露国に提案し、『もし露国政府が朝鮮に関して同様の宣言をなす用意があるならば、日本政府は満州並びにその沿岸は全く日本の利害関係の範囲外と見做す用意がある』と言明した。しかし露国政府は、満州に関する日本の態度に『大なる満足』の意を表しはしたが、朝鮮に関してそのような保証を与えることは拒絶した。事の真相は、ロシアが、陸軍国としての日本を蔑視し、日本の歓心を買わんがために何らかの譲歩をなす必要は毫も認めなかったものである。
『世界政治と東亜』G・F・ハドソン著
――――――
日露開戦が避けられない事態に進展したのは、北清事変後のロシア軍満州撤兵をめぐる対立だった。日英両国の抗議により、ロシアは清国と満州返還の条約を結んで第一期撤兵を行ったが、翌年には撤兵するどころか兵力を増強して満州地域の要塞を強化、さらには朝鮮半島への進出を意図して・・・
『日本海海戦の真実』 野村実著
――――――
>あほぬかせ、、戦費も無く イギリスに借金に行ったが アジアの小国がロシアと戦争して勝てるわけもなく 貸した金はドブに捨てるようなものだと イギリスの金貸しからは一銭も借りることは出来なかったんだよ。
で、「日露戦争当時の日本の目的は日本や朝鮮の防衛が目的だった」ということで良いのだな。
>あのな 義和団事件以後 清国はロシア軍に駐留を求めたんだよ、、しかし日本軍はロシアだけを残すことは、、ってことで 無理矢理居残った結果 居直り強盗みたいなもんだけどな、、ほんでロシアを追い出しにかかったってことだ
で、「日露戦争当時の日本の目的は日本や朝鮮の防衛が目的だった」ということで良いのだな。
これは メッセージ 24297 (todorigafuti さん)への返信です.