南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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関東軍トンズラ

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/07/02 09:41 投稿番号: [24304 / 41162]
(wikipedia参照):

満州国を防衛する日本の関東軍は、日ソ中立条約をあてにしていた大本営により、1942年以降増強が中止され、後に南方戦線などへ戦力を抽出されて十分な戦力を持っていなかった。また関東軍自体の戦闘力の水準の低さ、ソ連侵攻に対抗するための陣地防御の準備が不十分であったことなどにより、国境付近で多くの部隊が全滅し、侵攻に対抗できなかった。

そのため関東軍首脳は撤退を決定し、新京の軍属(主に将校の家族、関東軍の上級関係者たち)は8月10日、いち早く、莫大な資金を安全確保の「武器」として乗せた、憲兵の護衛つき特別列車で脱出した。そしてソ連軍の侵攻で犠牲となったのが、主に満蒙開拓移民団員(後述)をはじめとする日本人居留民たちであった。通化への司令部移動の際に民間人の移動も関東軍の一部では考えられたが、軍事的な面から民間人の大規模な移動は「全軍的意図の(ソ連への)暴露」にあたること、邦人130万余名の輸送作戦に必要な資材、時間もなく、東京の開拓総局にも拒絶され、結果、彼らは置き去りにされ、満州領に攻め込んだソ連軍の侵略に直面する結果になった。

ソ連軍は規律が整っておらず、兵士による数多くの殺傷・強姦・略奪事件が発生したとされる(但し被害を証明する文献は少ない)。また日本人の強引な土地収奪などから開拓団に恨みを持つ満州族や漢族、朝鮮族による殺害事件もあり、多くの開拓者が南方へ避難した。しかし脱出不能との判断から、集団自決により命を失った者も多数にのぼった。中には、シベリアや外蒙古、中央アジア等に連行・抑留された者もいる。

この混乱の中、一部の日本人の幼児は、肉親と死別したりはぐれたりして現地の中国人に保護され、あるいは肉親自身が現地人に預けたりして戦後も大陸に残った中国残留日本人孤児が数多く発生した。その後、日本人は新京や大連などの大都市に集められたが、日本本国への引き揚げ作業は遅れ、漸く46年から開始された(葫芦島在留日本人大送還)。その間多くの餓死者・凍死者・病死者を出したとされる。

一方ソ連軍の侵攻は満州国内で日本人による抑圧を受けていた中国人、朝鮮人、蒙古人にとっては『解放』であり、彼らの多くはソ連軍を解放軍として迎え、当初関東軍と共にソ連軍と戦っていた満州国軍や関東軍の朝鮮人・中国人・蒙古人部隊からもソ連側への離反が相次ぎ、結果として関東軍の作戦計画を妨害することになった。

皇帝溥儀たちはソ連の進撃が進むと新京を放棄し、朝鮮にほど近い通化省臨江県大栗子に避難していたが、8月15日の玉音放送によって戦争、そして自らの帝国の終わりを知ることとなる。2日後の8月17日、国務院は満州国の解体を決定、翌18日には溥儀が大栗子の地で退位の詔勅を読み上げ、満州帝国は建国より僅か13年で地上から消滅した。」
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