日本への侵略、支那軍が先
投稿者: ndaybreak 投稿日時: 2004/07/27 06:36 投稿番号: [2418 / 41162]
『支那軍、長崎へ無許可上陸』
1886年(明治19年)8月1日、
支那北洋艦隊の新鋭戦艦「定遠」「鎮遠」、
巡洋艦「済遠」「威遠」の四隻が、日本の国力の脆弱なことに付け込んで日本の
政府になんらの予告もなく突然、長崎に入港するという、暴挙のあり得べからざる
一大侵略行動ををはたらき、そのあげく、8月13日には支那水兵が勝手に上陸を
開始した。
兵力は500人以上、そして長崎市内をノシまわり、商店に押し入り金品を強奪した。
酒を探して飲み、市民の女性をおいかけるなど、散々に暴れ狂った。
急報により日本人巡査が鎮圧に出動したが、多勢に無勢、袋叩きにあった。やがて
応援の巡査の一隊がかけつけて、双方抜刀して市街戦になった。斬り合いの結果、
双方とも八十数名の死傷者をだした。
因みに、「定遠」「鎮遠」の両艦は当時世界第一級の大戦艦であった。
その頃の日本海軍は「浪波」「高千穂」(三千トン)の小艦があるだけだった。
この『長崎事件』を契機に、
日本人の防衛思想の根底に、大陸を国防の第一線とする考え方が生まれたのである。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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