Re: 支那が埋めた化学兵器(毒ガス弾)???
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2008/06/21 12:01 投稿番号: [24109 / 41162]
>君も以前書いてただろう
中国のある村の食糧倉庫に押し入り
中の米を全て持ち去り「金は払う
取りに来い」って張り紙して日本兵は食糧を調達してっって
、、これがドロボウだって
指摘したよね。
これのどこが泥棒なんだ?
持ち主が、その場に居なかったのだから、普通に考えれば、持ち主が既に通過した支那軍によって殺されたか、あるいはその持ち主は倉庫の食糧を置き去りにして遠くに行ってしまったと考えて良いだろう。
本来なら黙って徴収しても良かったのだが、律儀な日本軍は、持ち主が現れた場合のことを考慮して、「カネを払うから取りに来い」とメモを残したのだろう。
こんな良心的な行いはない。
「七、徴発について困ったことは、上海から南京に至る迄、占領地の多くは、其の部落には一般住民も行政上の責任者も残留して居なかったことであります。即ち交渉の相手となすべき者が存在しなかったので、結局、不在所有者の現実の承諾のない状態の儘、之を軍需に用ひなければならなかったことが屡々とありました。
然しその様な場合には、如何なる物を如何程徴発したかを明記し、所有者に判明する様、貼紙をして、司令部ヘ代金を取りに来る様に記して置くのを例としました。
私が現実にその様な措置を講じであった事実を目撃したのは、無錫に於ける米の倉庫に於てでありました。」
(極東軍事法廷 速記録第三一○号 弁護側証人 榊原主計証言)
>8月には南京は日本海軍の新型長距離爆撃機の標的にされて 無差別爆撃を昼夜違わず 3日に2日受けている
それは上海戦のときの話であり、南京には支那軍の軍事施設や飛行場があったために、日本軍はそこを爆撃したのだ。
無差別爆撃ではなかった。
「第二次上海事変」(上海戦)
8月9日大山中尉惨殺事件→8月13日支那大軍が国際租界日本人居留区包囲攻撃→8月14日支那軍機がホテル爆撃→日本が「暴支膺懲」宣言→日本海軍が『渡洋爆撃』
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/23844075.html
(一部抜粋)
あまりの暴虐さに日本政府は「暴支膺懲」を宣言し、海軍は台風の中、日本から直接爆撃機を飛ばして南京などにある支那軍の飛行場や前線基地を叩き、上海などに居た日本人の命を永らえさせた。
これが世に言う『渡洋爆撃』
南京の爆撃・諸外国の報道(誹謗中傷運動)と現実(真相)
第12章 誹謗中傷運動
『シナ大陸の真相1931〜1938』K・カール・カワカミ15
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/15438815.html
(一部抜粋)
南京の爆撃
…(略)…
そしてこの誹謗中傷運動の結末は?
1937年12月中旬、日本軍が南京に入城した時、中国軍が逃亡する前に彼らが自分で行った略奪や放火を除いて、市街はそっくりそのまま無傷で残っていたのである。
戦争の被害・日本軍による爆撃の真相
第12章 誹謗中傷運動
『シナ大陸の真相1931〜1938』K・カール・カワカミ16
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/15504826.html
(一部抜粋)
だがしかし日本人は次の点に付いては確信している。即ち非軍事施設、または日本軍に対する作戦として中国軍が利用したことのないような施設を、故意に狙った日本軍のパイロットなど、戦闘の如何なる段階、如何なる場面においてもただの一人もいなかったのだ。
中国の教育施設及びその他の文化施設を日本軍が爆撃したと報じる新聞の紙面には、多くのセンセーショナルな見出しが躍った。だが調査の結果、爆撃されたそれらの文化施設は軍事目的のために中国軍が使用していたことが判明した。次に掲げるのはこの件に関する諸々の事実の要約である。
(以下略)
>オイラが聞いているのは 11月22日にこの様な難民保護区が設けられているのはなぜか?って聞いてるんだけどね
南京安全区は、米国人やドイツ人や裕福な支那人の財産の保護のために設定された。
#9788
これのどこが泥棒なんだ?
持ち主が、その場に居なかったのだから、普通に考えれば、持ち主が既に通過した支那軍によって殺されたか、あるいはその持ち主は倉庫の食糧を置き去りにして遠くに行ってしまったと考えて良いだろう。
本来なら黙って徴収しても良かったのだが、律儀な日本軍は、持ち主が現れた場合のことを考慮して、「カネを払うから取りに来い」とメモを残したのだろう。
こんな良心的な行いはない。
「七、徴発について困ったことは、上海から南京に至る迄、占領地の多くは、其の部落には一般住民も行政上の責任者も残留して居なかったことであります。即ち交渉の相手となすべき者が存在しなかったので、結局、不在所有者の現実の承諾のない状態の儘、之を軍需に用ひなければならなかったことが屡々とありました。
然しその様な場合には、如何なる物を如何程徴発したかを明記し、所有者に判明する様、貼紙をして、司令部ヘ代金を取りに来る様に記して置くのを例としました。
私が現実にその様な措置を講じであった事実を目撃したのは、無錫に於ける米の倉庫に於てでありました。」
(極東軍事法廷 速記録第三一○号 弁護側証人 榊原主計証言)
>8月には南京は日本海軍の新型長距離爆撃機の標的にされて 無差別爆撃を昼夜違わず 3日に2日受けている
それは上海戦のときの話であり、南京には支那軍の軍事施設や飛行場があったために、日本軍はそこを爆撃したのだ。
無差別爆撃ではなかった。
「第二次上海事変」(上海戦)
8月9日大山中尉惨殺事件→8月13日支那大軍が国際租界日本人居留区包囲攻撃→8月14日支那軍機がホテル爆撃→日本が「暴支膺懲」宣言→日本海軍が『渡洋爆撃』
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/23844075.html
(一部抜粋)
あまりの暴虐さに日本政府は「暴支膺懲」を宣言し、海軍は台風の中、日本から直接爆撃機を飛ばして南京などにある支那軍の飛行場や前線基地を叩き、上海などに居た日本人の命を永らえさせた。
これが世に言う『渡洋爆撃』
南京の爆撃・諸外国の報道(誹謗中傷運動)と現実(真相)
第12章 誹謗中傷運動
『シナ大陸の真相1931〜1938』K・カール・カワカミ15
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/15438815.html
(一部抜粋)
南京の爆撃
…(略)…
そしてこの誹謗中傷運動の結末は?
1937年12月中旬、日本軍が南京に入城した時、中国軍が逃亡する前に彼らが自分で行った略奪や放火を除いて、市街はそっくりそのまま無傷で残っていたのである。
戦争の被害・日本軍による爆撃の真相
第12章 誹謗中傷運動
『シナ大陸の真相1931〜1938』K・カール・カワカミ16
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/15504826.html
(一部抜粋)
だがしかし日本人は次の点に付いては確信している。即ち非軍事施設、または日本軍に対する作戦として中国軍が利用したことのないような施設を、故意に狙った日本軍のパイロットなど、戦闘の如何なる段階、如何なる場面においてもただの一人もいなかったのだ。
中国の教育施設及びその他の文化施設を日本軍が爆撃したと報じる新聞の紙面には、多くのセンセーショナルな見出しが躍った。だが調査の結果、爆撃されたそれらの文化施設は軍事目的のために中国軍が使用していたことが判明した。次に掲げるのはこの件に関する諸々の事実の要約である。
(以下略)
>オイラが聞いているのは 11月22日にこの様な難民保護区が設けられているのはなぜか?って聞いてるんだけどね
南京安全区は、米国人やドイツ人や裕福な支那人の財産の保護のために設定された。
#9788
これは メッセージ 24090 (todorigafuti さん)への返信です.