Re: 著作権 カムチャッカ
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/05/11 22:33 投稿番号: [23688 / 41162]
>カムチャッカ在住の人達かわいそうですね。
あんさん、日本人がシベリアで何人死んだか知ってまっか?
どうみても、北海道の島続きとしか見えない北方四島を今だに
占領してるのはどなたはんでっか?
ロシアの事はケチョンケチョンに言ってもかまわんと思いますわ。
一方、中国は日本の敗残兵捕虜を何人殺しました?
ほぼ全員無事に日本に帰らしてくれましたやん。
中国が日本に恨まれるような、どんなひどいことしました?
バカウヨは日本によって侵略された被害者である中国を逆切れして悪者扱いにし、本当に悪いやつには何にも言わん。卑怯だとは思いまへんか。
といったおいらの理屈はともかく、本当は、おいらカムチャッカという
言葉の響きがごっつ〜面白いねん。
マヌケな人間をコケにするのにうってつけの言葉やねん。
でも、一応、あんさんも、ロシアが日本にした仕打ちは知っといたら
どないでっか。
(wikipedia参照):
シベリア抑留
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シベリア抑留(シベリアよくりゅう)とは、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期にソビエト連邦軍の満州(現在の中華人民共和国東北地区および内モンゴル自治区北東部)侵攻によって生じた日本人捕虜(民間人、当時日本国籍者であった朝鮮人などを含む)を、主にシベリアやモンゴルなどに抑留し、強制労働に使役したことを指す。
占領地域の日本軍はソ連軍によって武装解除され、9月5日の山田ら関東軍首脳を手始めに、日本軍将兵、在満州民間人・満蒙開拓移民団の男性が続々とハバロフスクに集められた。
彼らは日本(あるいは解放されたであろう祖国)に帰れることを期待していたが、ソ連は捕虜を1000名程度の作業大隊に編成した後、貨車に詰め込んだ。
行き先は告げられなかったが、日没の方向から西へ向かっていることが貨車の中からでも分かり絶望したことが伝えられる。抑留された捕虜の総数は、作業大隊が570あったため、当初は57万名が連行されたと考えられたが、65万人というのが定説である。一説には200万人以上とも言われる。
収容所
帝政ロシア時代より、シベリアは流刑の地として使用されており、政治犯などがシベリアへと送られていた。ソ連成立以降の「シベリア送り」は、国内でも反革命分子とされた人間に課されたもので、建国当初から行われていた。日本人捕虜も多くがシベリアの収容所に抑留され、過酷な環境下で強制労働に従事させられた。
犠牲者数
従来死者は約6万人とされてきたが少なすぎるという指摘があった。近年、ソ連崩壊後の資料公開によって実態が明らかになりつつあり、終戦時、ソ連の占領した満州、樺太、千島には軍民あわせ約272万6千人の日本人がいたが、このうち約107万人が終戦後シベリアやソ連各地に送られ強制労働させられたと見られている。
アメリカの研究者ウイリアム・ニンモ著「検証ーシベリア抑留」によれば、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡したという。また1945年から1949年までの4年間だけで、ソ連での日本人捕虜の死亡者は、37万4041人にのぼるという調査結果もある。」
あんさん、日本人がシベリアで何人死んだか知ってまっか?
どうみても、北海道の島続きとしか見えない北方四島を今だに
占領してるのはどなたはんでっか?
ロシアの事はケチョンケチョンに言ってもかまわんと思いますわ。
一方、中国は日本の敗残兵捕虜を何人殺しました?
ほぼ全員無事に日本に帰らしてくれましたやん。
中国が日本に恨まれるような、どんなひどいことしました?
バカウヨは日本によって侵略された被害者である中国を逆切れして悪者扱いにし、本当に悪いやつには何にも言わん。卑怯だとは思いまへんか。
といったおいらの理屈はともかく、本当は、おいらカムチャッカという
言葉の響きがごっつ〜面白いねん。
マヌケな人間をコケにするのにうってつけの言葉やねん。
でも、一応、あんさんも、ロシアが日本にした仕打ちは知っといたら
どないでっか。
(wikipedia参照):
シベリア抑留
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シベリア抑留(シベリアよくりゅう)とは、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期にソビエト連邦軍の満州(現在の中華人民共和国東北地区および内モンゴル自治区北東部)侵攻によって生じた日本人捕虜(民間人、当時日本国籍者であった朝鮮人などを含む)を、主にシベリアやモンゴルなどに抑留し、強制労働に使役したことを指す。
占領地域の日本軍はソ連軍によって武装解除され、9月5日の山田ら関東軍首脳を手始めに、日本軍将兵、在満州民間人・満蒙開拓移民団の男性が続々とハバロフスクに集められた。
彼らは日本(あるいは解放されたであろう祖国)に帰れることを期待していたが、ソ連は捕虜を1000名程度の作業大隊に編成した後、貨車に詰め込んだ。
行き先は告げられなかったが、日没の方向から西へ向かっていることが貨車の中からでも分かり絶望したことが伝えられる。抑留された捕虜の総数は、作業大隊が570あったため、当初は57万名が連行されたと考えられたが、65万人というのが定説である。一説には200万人以上とも言われる。
収容所
帝政ロシア時代より、シベリアは流刑の地として使用されており、政治犯などがシベリアへと送られていた。ソ連成立以降の「シベリア送り」は、国内でも反革命分子とされた人間に課されたもので、建国当初から行われていた。日本人捕虜も多くがシベリアの収容所に抑留され、過酷な環境下で強制労働に従事させられた。
犠牲者数
従来死者は約6万人とされてきたが少なすぎるという指摘があった。近年、ソ連崩壊後の資料公開によって実態が明らかになりつつあり、終戦時、ソ連の占領した満州、樺太、千島には軍民あわせ約272万6千人の日本人がいたが、このうち約107万人が終戦後シベリアやソ連各地に送られ強制労働させられたと見られている。
アメリカの研究者ウイリアム・ニンモ著「検証ーシベリア抑留」によれば、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡したという。また1945年から1949年までの4年間だけで、ソ連での日本人捕虜の死亡者は、37万4041人にのぼるという調査結果もある。」
これは メッセージ 23686 (kamitsunomiyanonushi さん)への返信です.