731部隊と帝銀事件
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/05/02 15:30 投稿番号: [23507 / 41162]
旧日本軍が毒薬人体実験
帝銀事件捜査資料に研究員証言
弁護団解読『平沢氏無罪の根拠』
戦後史のナゾの1つといわれる帝銀事件で、昭和62年に獄中死した平沢貞通元死刑囚=当時(95)=の再審を請求し続けている弁護団が18日までに、これまで判読不能で“幻の資料”といわれた、当時の警視庁捜査官の捜査日誌を解読した。
日誌には、旧軍関係者の証言で旧陸軍特殊部隊による中国、ロシア人捕虜などに対する毒薬人体実験の実態が生々しくつづられており、大きな反響を呼びそうだ。
捜査日誌は、昭和23年の事件発生当時、警視庁捜査1課係長だった甲斐文助警部(55年死去)が、陸軍技術研究所の元研究員や元特務機関員らに捜査員が事情聴取した内容を記録したもの。「甲斐日誌」とも呼ばれ、全12冊、約3000ページに及ぶ。
甲斐氏が帝銀事件研究家に提供したものを弁護団が借り受けたが、独特の字体で書かれ読めなかったため、平沢元死刑囚の養子の武彦さん(33)らと2年半がかりで解読した。
日誌によると、元陸軍第6技術研究所の運用班員=当時(66)=は次のように証言している。(原文のまま)「人物実験を満州で行った/(略)ガスの漏れぬコムバッキングの中に入れてスイッチを捻(ひね)ると青酸ガスがすぐ出てくる/(略)人間には荷札を付けて 一号何分(注=何分で死んだかということ) 二号何分と外で見ている/処分は特設火葬場/電気仕掛けでミジンも残らないようにして仕舞う/(略)何一つ残らぬ」
昭和15年ごろ、南京の特務機関にいた人物も「三カ月いる間に青酸加里(カリ)で三人 人を殺した/(略)殺したら後は日本人の人力車が之(これ)にのせて所定の場所に行き埋める」と毒殺を告白している。
捜査は、中国人やロシア人捕虜らに細菌実験をしたとされる旧関東軍731(石井)部隊の関係者にも及んだ。ある軍医=当時(43)=は「十年十一月頃(ごろ) ハルビン郊外/精油工場で人体実験の立ち会いをした/(略)当時の薬は青酸加里をビールに入れて呑(の)ませて殺した」。
別の部隊関係者も「十九年春頃 七棟の二階に捕虜がいて/七十人位(看守の鍵=かぎ=を取り)が革命歌を歌って騒ぎ出した/之を全部殺した(ガスで殺した)」と捕虜殺人の様子を証言している。
また、同日誌によると、陸軍第9技術研究所の元技術大尉=当時(36)=は「若(も)し青酸加里を使ふ場合よく青酸加里の特徴を研究した大家か、若(もし)くは全く素人がやる以外一般化学者はそういう即効性のもので十六人も殺すことはできない(危険で)青酸ニトリールの方がやり良い」と証言。
弁護団は、事件で使われた毒物は、確定判決で認定された青酸カリでなかった、としている。
日誌の全容を解読した弁護団では「甲斐手記は平沢氏の無罪の証明だけでなく旧日本軍の過去の罪の告発でもある」と話している。
<帝銀事件> 昭和23年1月、東京都豊島区の帝国銀行支店に中年の男が訪れ「近くでチフスが発生したので、予防薬を飲んでほしい」と行員に薬液を飲ませ、12人が青酸中毒で死亡。男は現金16万円余りを奪って逃げた。
捜査当局は犯人が残した名刺などからテンペラ画家平沢貞通元死刑囚を強盗殺人罪などで起訴。平沢元死刑囚は公判では否認したが最高裁で死刑が確定。病死後も弁護団が再審請求を続けている。同事件では毒物を使った手口などから、旧軍関係者も事情聴取の対象となっていた。(中日新聞 1992/01/19)
弁護団解読『平沢氏無罪の根拠』
戦後史のナゾの1つといわれる帝銀事件で、昭和62年に獄中死した平沢貞通元死刑囚=当時(95)=の再審を請求し続けている弁護団が18日までに、これまで判読不能で“幻の資料”といわれた、当時の警視庁捜査官の捜査日誌を解読した。
日誌には、旧軍関係者の証言で旧陸軍特殊部隊による中国、ロシア人捕虜などに対する毒薬人体実験の実態が生々しくつづられており、大きな反響を呼びそうだ。
捜査日誌は、昭和23年の事件発生当時、警視庁捜査1課係長だった甲斐文助警部(55年死去)が、陸軍技術研究所の元研究員や元特務機関員らに捜査員が事情聴取した内容を記録したもの。「甲斐日誌」とも呼ばれ、全12冊、約3000ページに及ぶ。
甲斐氏が帝銀事件研究家に提供したものを弁護団が借り受けたが、独特の字体で書かれ読めなかったため、平沢元死刑囚の養子の武彦さん(33)らと2年半がかりで解読した。
日誌によると、元陸軍第6技術研究所の運用班員=当時(66)=は次のように証言している。(原文のまま)「人物実験を満州で行った/(略)ガスの漏れぬコムバッキングの中に入れてスイッチを捻(ひね)ると青酸ガスがすぐ出てくる/(略)人間には荷札を付けて 一号何分(注=何分で死んだかということ) 二号何分と外で見ている/処分は特設火葬場/電気仕掛けでミジンも残らないようにして仕舞う/(略)何一つ残らぬ」
昭和15年ごろ、南京の特務機関にいた人物も「三カ月いる間に青酸加里(カリ)で三人 人を殺した/(略)殺したら後は日本人の人力車が之(これ)にのせて所定の場所に行き埋める」と毒殺を告白している。
捜査は、中国人やロシア人捕虜らに細菌実験をしたとされる旧関東軍731(石井)部隊の関係者にも及んだ。ある軍医=当時(43)=は「十年十一月頃(ごろ) ハルビン郊外/精油工場で人体実験の立ち会いをした/(略)当時の薬は青酸加里をビールに入れて呑(の)ませて殺した」。
別の部隊関係者も「十九年春頃 七棟の二階に捕虜がいて/七十人位(看守の鍵=かぎ=を取り)が革命歌を歌って騒ぎ出した/之を全部殺した(ガスで殺した)」と捕虜殺人の様子を証言している。
また、同日誌によると、陸軍第9技術研究所の元技術大尉=当時(36)=は「若(も)し青酸加里を使ふ場合よく青酸加里の特徴を研究した大家か、若(もし)くは全く素人がやる以外一般化学者はそういう即効性のもので十六人も殺すことはできない(危険で)青酸ニトリールの方がやり良い」と証言。
弁護団は、事件で使われた毒物は、確定判決で認定された青酸カリでなかった、としている。
日誌の全容を解読した弁護団では「甲斐手記は平沢氏の無罪の証明だけでなく旧日本軍の過去の罪の告発でもある」と話している。
<帝銀事件> 昭和23年1月、東京都豊島区の帝国銀行支店に中年の男が訪れ「近くでチフスが発生したので、予防薬を飲んでほしい」と行員に薬液を飲ませ、12人が青酸中毒で死亡。男は現金16万円余りを奪って逃げた。
捜査当局は犯人が残した名刺などからテンペラ画家平沢貞通元死刑囚を強盗殺人罪などで起訴。平沢元死刑囚は公判では否認したが最高裁で死刑が確定。病死後も弁護団が再審請求を続けている。同事件では毒物を使った手口などから、旧軍関係者も事情聴取の対象となっていた。(中日新聞 1992/01/19)
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