南京の人口
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/05/01 13:13 投稿番号: [23459 / 41162]
古本屋、基礎知識くらい勉強しておけよ:
>南京の人口は20万人なのに30万人の虐殺は不可能なのか?
「これは、南京大虐殺否定論、というより「否定したつもりになっている」論の使い古された常套句です。まず、「大虐殺派」の代表格である笠原十九司氏の推計でも南京大虐殺の犠牲者数は15〜20万人とされており、日本側の研究者で南京大虐殺の犠牲者が30万人と考えている人はいません。
問題は、この論が、「南京の人口は20万人」という仮定に基づいている点です。
先に述べたように「南京」は南京城内か南京市か南京行政区 (南京区別市とも) かによって、範囲は大きく変わります。南京大虐殺を、誰も「南京城内大虐殺」とも「南京市街地内大虐殺」とも呼ばない以上、一連の南京攻略戦での虐殺犠牲者全員が南京大虐殺の範疇に含まれると私は思いますが、それにしても、南京の地理的範囲をどう定義しても、人口20万人にはならないのです。
前述のとおり、日中戦争直前の時点で、南京城内の人口はおよそ85万人、城外の市街地も含めた南京市全体で100万人、南京行政区全体で250万人でした。そのうち、南京行政区の農村部の住民 (約150万人) の大半は、避難することができなかった。
一方、南京市街地からは、日本軍の接近に伴ってかなりの住民が避難しましたが、南京が陥落した時点で何人残っていたかは、はっきりとは分かっていません。市内は混乱状態で、行政が機能していなかったからです。ただ、20万人という数字よりははるかに多かったことは間違いないのです。
では、この20万人という数字はどこから出てきたのかというと、これは、国際安全区委員会が設置した安全区 (難民区) に逃げ込んだ避難民の数なのです。それもラーベの日記によると、どうも事前に予測されていた避難民の数が20万人であって、実際にはそれより多い25万人が逃げ込んでいた時期もあった。
加えて、陥落の時点ではまだかなりの住民が市街地に残っていました。その数は厳密には分かりませんが、シカゴ・デイリー・ニュースの記事は、まだ10万人が市内の各所に残っていたと記述していますし、その他の外国人や、日本軍・従軍記者なども、まだ住民が各所に残っているのを目撃して、それを記録にとどめています。
もうひとつ重要なことは、虐殺の犠牲者のうち3万人 (秦郁彦氏の説) から8万人 (笠原十九司氏の説) は捕虜・投降兵の犠牲者だということです。しかし、前述の南京の人口には軍人の数はほとんど含まれていないのです。
それから、この「南京の人口20万人」説を根拠として、その後1938年1月の人口推計で25万人という記録があることから「虐殺があったのに人口が増えたのはおかしい」と主張する向きがあります。
これは、そもそも最初の20万人という数字が正確さを欠くものである以上、1ヶ月後の25万人という数字が人口増を示すものかどうか定かではありません。
しかも、20万人という数字にしろ25万人という数字にしろ、これは安全区の人口なのです。仮に本当に難民区の人口が20万人から25万人に増加したとするなら、それはむしろ難民区外の状況がひどいから多くの避難民が詰めかけてきた、という意味に解する方が自然です。」
>南京の人口は20万人なのに30万人の虐殺は不可能なのか?
「これは、南京大虐殺否定論、というより「否定したつもりになっている」論の使い古された常套句です。まず、「大虐殺派」の代表格である笠原十九司氏の推計でも南京大虐殺の犠牲者数は15〜20万人とされており、日本側の研究者で南京大虐殺の犠牲者が30万人と考えている人はいません。
問題は、この論が、「南京の人口は20万人」という仮定に基づいている点です。
先に述べたように「南京」は南京城内か南京市か南京行政区 (南京区別市とも) かによって、範囲は大きく変わります。南京大虐殺を、誰も「南京城内大虐殺」とも「南京市街地内大虐殺」とも呼ばない以上、一連の南京攻略戦での虐殺犠牲者全員が南京大虐殺の範疇に含まれると私は思いますが、それにしても、南京の地理的範囲をどう定義しても、人口20万人にはならないのです。
前述のとおり、日中戦争直前の時点で、南京城内の人口はおよそ85万人、城外の市街地も含めた南京市全体で100万人、南京行政区全体で250万人でした。そのうち、南京行政区の農村部の住民 (約150万人) の大半は、避難することができなかった。
一方、南京市街地からは、日本軍の接近に伴ってかなりの住民が避難しましたが、南京が陥落した時点で何人残っていたかは、はっきりとは分かっていません。市内は混乱状態で、行政が機能していなかったからです。ただ、20万人という数字よりははるかに多かったことは間違いないのです。
では、この20万人という数字はどこから出てきたのかというと、これは、国際安全区委員会が設置した安全区 (難民区) に逃げ込んだ避難民の数なのです。それもラーベの日記によると、どうも事前に予測されていた避難民の数が20万人であって、実際にはそれより多い25万人が逃げ込んでいた時期もあった。
加えて、陥落の時点ではまだかなりの住民が市街地に残っていました。その数は厳密には分かりませんが、シカゴ・デイリー・ニュースの記事は、まだ10万人が市内の各所に残っていたと記述していますし、その他の外国人や、日本軍・従軍記者なども、まだ住民が各所に残っているのを目撃して、それを記録にとどめています。
もうひとつ重要なことは、虐殺の犠牲者のうち3万人 (秦郁彦氏の説) から8万人 (笠原十九司氏の説) は捕虜・投降兵の犠牲者だということです。しかし、前述の南京の人口には軍人の数はほとんど含まれていないのです。
それから、この「南京の人口20万人」説を根拠として、その後1938年1月の人口推計で25万人という記録があることから「虐殺があったのに人口が増えたのはおかしい」と主張する向きがあります。
これは、そもそも最初の20万人という数字が正確さを欠くものである以上、1ヶ月後の25万人という数字が人口増を示すものかどうか定かではありません。
しかも、20万人という数字にしろ25万人という数字にしろ、これは安全区の人口なのです。仮に本当に難民区の人口が20万人から25万人に増加したとするなら、それはむしろ難民区外の状況がひどいから多くの避難民が詰めかけてきた、という意味に解する方が自然です。」
これは メッセージ 23455 (nyankotyanndamon さん)への返信です.