Re: ヒロヒトラー言われちゃった昭和バカ天
投稿者: inspotter 投稿日時: 2008/04/28 18:07 投稿番号: [23254 / 41162]
>また、陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいします。」と質問したところ、昭和天皇は 「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」 と返答した。
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昭和50年10月31日、ロンドン・タイムズの日本人記者の質問だと思います。
これは事前に提出のない、不意の関連質問でした。
天皇のこのご発言はしばしば悪意を持ったサヨク人によく利用まれます。 曰く、
>すなわち、天皇自身は全く戦争に対する悔恨も責任も持たず、戦争責任を誤魔化し、責任をA級戦犯や「一億総懺悔」という言葉で民衆に擦り付けて、自分は被害者面している昭和天皇は、とんでもないクズと言うほか無い。」
のようにです。
記録に残っている問答はつぎの通りです。
記者:「ホワイトハウスにおける『私が深く悲しみとするあの不幸な戦争』というご発言がございましたが、このことは、陛下が開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。 また、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられるかお伺いいたします」
天皇:「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よく分かりませんから、そういう問題については、お答えが出来かねます」
これについては山本七平氏は次のとおり発表しています(裕仁天皇の昭和史)。
この言葉をどう解すべきなのか。 当時の記録を探しても、不思議にこの「お言葉」への批判・批評といったものは見当たらない。 テレビを見ていた人の印象では、とうてい、当意即妙、巧みに相手の質問をかわしたという気はしなかったという。 そうであろう、天皇は子どものときから決して器用ではない。 そしてこの返事も、実にまじめに答えておられる。 また図工や作文は下手で、文学青年であったことはなく、文学方面はあまり「研究もしていない」のも事実。 さらに、文章は常に「科学の論文」のような正確さを要求され、条理に合わねばなかなか裁可が得られなかったことも事実、またこの質問の「戦争責任」という言葉も定義が確かではない。
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では「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので・・・・」は、どう解すべきなのか。 この「言葉のアヤ」とは、相手の質問について言っているように思われる。 だがそう読むと意味が通じなくなる。 天皇は意味不明瞭で相手をごまかすことはされたことがない。 それを考えると、これは問答で、相手は「・・・・どのように考えておられるかお伺いします」と聞いているのだから、「お答えしたいが、それを答え得るそういう言葉のアヤについては・・・・」の意味であろう。 これならば天皇が何を言おうとしたかは分かる。
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以上で分かるとおり、1975年の時点で天皇の頭の中では自分の戦争責任逃れの正当化が十分に出来ていた、というサヨク持論を採用するには無理がある、と思います。
かつて本島市長は、「戦争は『天皇の御ために』と実践し、天皇もまたそれを知っているはず、たから天皇はその責任を自覚してほしい」と言いました。 これは、津田博士が「建国の事情と万世一系の思想」(1946)で表現した、「自然のなりゆき」であり、踏みにじることのできぬ感情の問題で、政治からはかけ離れた位置にある、と考えるのが妥当と存じます。
津田博士は、同論文で、「日本の皇室は日本民族の内部から起って日本民族を統一し、日本の国家を形成してその統治者となられた。 過去の時代の思想においては、統治者の地位はおのずから民衆と相対するものであった。 しかし事実としては、皇室は高いところから民衆を見おろして、また権力を以って、それを圧服しようとせられたことは、長い歴史の上において一度もなかった。 いいかえると、実際政治の上では皇室と民衆とは対立するものではなかった。 ところが現代においては、国家の政治は国民みずからの責任を以ってみずからすべきものとせられているので、いわゆる民主主義の政治思想がそれである。 この思想と国家の統治者としての皇室の地位とは、皇室が国民と対立する地位にあって外部から国民に臨まれるのではなく、国民の内部にあって国民の意思を体現せられることにより、統治をかくの如き意味において行われることによって、調和せられる。・ ・ ・ ・」
と書いています。 これは日本民族独特の思想で、他に類を見ません。 かのハンチントンでさえ、日本は独自の文明圏に属す、と言わざるを得なかった所以です。
つづく
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昭和50年10月31日、ロンドン・タイムズの日本人記者の質問だと思います。
これは事前に提出のない、不意の関連質問でした。
天皇のこのご発言はしばしば悪意を持ったサヨク人によく利用まれます。 曰く、
>すなわち、天皇自身は全く戦争に対する悔恨も責任も持たず、戦争責任を誤魔化し、責任をA級戦犯や「一億総懺悔」という言葉で民衆に擦り付けて、自分は被害者面している昭和天皇は、とんでもないクズと言うほか無い。」
のようにです。
記録に残っている問答はつぎの通りです。
記者:「ホワイトハウスにおける『私が深く悲しみとするあの不幸な戦争』というご発言がございましたが、このことは、陛下が開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。 また、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられるかお伺いいたします」
天皇:「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よく分かりませんから、そういう問題については、お答えが出来かねます」
これについては山本七平氏は次のとおり発表しています(裕仁天皇の昭和史)。
この言葉をどう解すべきなのか。 当時の記録を探しても、不思議にこの「お言葉」への批判・批評といったものは見当たらない。 テレビを見ていた人の印象では、とうてい、当意即妙、巧みに相手の質問をかわしたという気はしなかったという。 そうであろう、天皇は子どものときから決して器用ではない。 そしてこの返事も、実にまじめに答えておられる。 また図工や作文は下手で、文学青年であったことはなく、文学方面はあまり「研究もしていない」のも事実。 さらに、文章は常に「科学の論文」のような正確さを要求され、条理に合わねばなかなか裁可が得られなかったことも事実、またこの質問の「戦争責任」という言葉も定義が確かではない。
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では「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので・・・・」は、どう解すべきなのか。 この「言葉のアヤ」とは、相手の質問について言っているように思われる。 だがそう読むと意味が通じなくなる。 天皇は意味不明瞭で相手をごまかすことはされたことがない。 それを考えると、これは問答で、相手は「・・・・どのように考えておられるかお伺いします」と聞いているのだから、「お答えしたいが、それを答え得るそういう言葉のアヤについては・・・・」の意味であろう。 これならば天皇が何を言おうとしたかは分かる。
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以上で分かるとおり、1975年の時点で天皇の頭の中では自分の戦争責任逃れの正当化が十分に出来ていた、というサヨク持論を採用するには無理がある、と思います。
かつて本島市長は、「戦争は『天皇の御ために』と実践し、天皇もまたそれを知っているはず、たから天皇はその責任を自覚してほしい」と言いました。 これは、津田博士が「建国の事情と万世一系の思想」(1946)で表現した、「自然のなりゆき」であり、踏みにじることのできぬ感情の問題で、政治からはかけ離れた位置にある、と考えるのが妥当と存じます。
津田博士は、同論文で、「日本の皇室は日本民族の内部から起って日本民族を統一し、日本の国家を形成してその統治者となられた。 過去の時代の思想においては、統治者の地位はおのずから民衆と相対するものであった。 しかし事実としては、皇室は高いところから民衆を見おろして、また権力を以って、それを圧服しようとせられたことは、長い歴史の上において一度もなかった。 いいかえると、実際政治の上では皇室と民衆とは対立するものではなかった。 ところが現代においては、国家の政治は国民みずからの責任を以ってみずからすべきものとせられているので、いわゆる民主主義の政治思想がそれである。 この思想と国家の統治者としての皇室の地位とは、皇室が国民と対立する地位にあって外部から国民に臨まれるのではなく、国民の内部にあって国民の意思を体現せられることにより、統治をかくの如き意味において行われることによって、調和せられる。・ ・ ・ ・」
と書いています。 これは日本民族独特の思想で、他に類を見ません。 かのハンチントンでさえ、日本は独自の文明圏に属す、と言わざるを得なかった所以です。
つづく
これは メッセージ 23229 (fukagawatohei さん)への返信です.