日本に支那は必要なし。
投稿者: yuki6000jp 投稿日時: 2004/04/04 17:02 投稿番号: [2261 / 41162]
支那(現在の中共)というのは辛亥革命以降の実体であり、それ以前は幾多の民族がいれかわり統治をしていた地域であり、一貫しているのは漢字を使っていることだけ。したがって、たとえば台湾にしても、「中共という国家は、日清戦争の当時にはまだなかったのだから、日本は台湾を支那から奪ったのではない」という。
支那人は時の政治権力の要求に合致しているという意味で「正しい」という言葉を使うのであり、歴史の「事実」は現実の政治の必要に応じてどんなにでも変えられるものである。したがって支那人の歴史観は「嘘で固まっている」。そんなものをいちいち本気にしない方が良い。
南京侵攻について言うなら、間接証言の信憑性の低さと、軍服を脱ぎ捨てた支那兵は国際法上「法的資格を満たさない捕虜」であることから、「虐殺」にあたらない。
その調査研究費が中共政府や台湾の財団が支援している事実のあるアイリス・チャンの「南京の強姦−第二次世界大戦の忘れられた大虐殺」にしても「?」の箇所があまりに多い。
まず、基本的な史実に誤りが実に多い。例えば、昭和12年12月13日の南京陥落が12日夕方の陥落と記されている、などなど。
次に、南京の人口は国際委員会委員長ラーベが記したように、陥落時20万であった。虐殺があったならば、人口が減少するはずだが、翌年1月には25万人に膨張する。
ところがアイリス・チャンはこれを無視して、26万人から35万人が虐殺されたと主張している。数字からしても、おかしい。
そして「いつ、どこで、だれが写したのか」全く不明の写真が数多く収録されている。その中の1つに戦車が火炎放射器で民家を焼いている写真があり、「虐殺の間、南京の3分の1が放火で破壊された」と写真説明が続く。
この写真の戦車は調べてみると「97式軽装甲車」と判明した。
97式軽装甲車は昭和12年(皇紀2597年)に型式が制定されたが、生産開始は早くて翌年以降であった。
従って、昭和12年、南京に97式軽装甲車があるはずもなく、しかも97式軽装甲車には火炎放射器は装備されていなかった。
更に 日本軍は、「捕虜の目玉をえぐり出し、耳と鼻を切り取り、生き埋めにして戦車でひき殺し、虐殺した。また女性を強姦して、被害は2万件に及んだ。その3分の1は天下の公道のど真ん中、公衆の面前で、公然と行われた」と主張されているが、しかし南京城内は城内の一角の安全地帯がすし詰めで、それ以外は無人であった。南京で犯罪が起きたとすれば人のいた安全地帯で起きたことになる。
そこで中華民国の国際問題委員会の作成した公式記録「南京安全地帯の記録」を開いてみると、殺人は真偽取り混ぜても25件(被害者51人)で、しかも目撃は2件(すべて合法)であった。
強姦は未遂を含めても7件であった。
従って蒋介石は、南京虐殺ではなく広東虐殺なるものを国際連盟に訴えた。毛沢東は南京の日本軍は「包囲は多いが、殲滅(せんめつ)は少ない。まずかった」と講演しているのである。
チャンの言う、強姦2万件、虐殺35万人という記録は当時の記録にはない。これを歴史の偽造以外の何物でもない。
支那人は時の政治権力の要求に合致しているという意味で「正しい」という言葉を使うのであり、歴史の「事実」は現実の政治の必要に応じてどんなにでも変えられるものである。したがって支那人の歴史観は「嘘で固まっている」。そんなものをいちいち本気にしない方が良い。
南京侵攻について言うなら、間接証言の信憑性の低さと、軍服を脱ぎ捨てた支那兵は国際法上「法的資格を満たさない捕虜」であることから、「虐殺」にあたらない。
その調査研究費が中共政府や台湾の財団が支援している事実のあるアイリス・チャンの「南京の強姦−第二次世界大戦の忘れられた大虐殺」にしても「?」の箇所があまりに多い。
まず、基本的な史実に誤りが実に多い。例えば、昭和12年12月13日の南京陥落が12日夕方の陥落と記されている、などなど。
次に、南京の人口は国際委員会委員長ラーベが記したように、陥落時20万であった。虐殺があったならば、人口が減少するはずだが、翌年1月には25万人に膨張する。
ところがアイリス・チャンはこれを無視して、26万人から35万人が虐殺されたと主張している。数字からしても、おかしい。
そして「いつ、どこで、だれが写したのか」全く不明の写真が数多く収録されている。その中の1つに戦車が火炎放射器で民家を焼いている写真があり、「虐殺の間、南京の3分の1が放火で破壊された」と写真説明が続く。
この写真の戦車は調べてみると「97式軽装甲車」と判明した。
97式軽装甲車は昭和12年(皇紀2597年)に型式が制定されたが、生産開始は早くて翌年以降であった。
従って、昭和12年、南京に97式軽装甲車があるはずもなく、しかも97式軽装甲車には火炎放射器は装備されていなかった。
更に 日本軍は、「捕虜の目玉をえぐり出し、耳と鼻を切り取り、生き埋めにして戦車でひき殺し、虐殺した。また女性を強姦して、被害は2万件に及んだ。その3分の1は天下の公道のど真ん中、公衆の面前で、公然と行われた」と主張されているが、しかし南京城内は城内の一角の安全地帯がすし詰めで、それ以外は無人であった。南京で犯罪が起きたとすれば人のいた安全地帯で起きたことになる。
そこで中華民国の国際問題委員会の作成した公式記録「南京安全地帯の記録」を開いてみると、殺人は真偽取り混ぜても25件(被害者51人)で、しかも目撃は2件(すべて合法)であった。
強姦は未遂を含めても7件であった。
従って蒋介石は、南京虐殺ではなく広東虐殺なるものを国際連盟に訴えた。毛沢東は南京の日本軍は「包囲は多いが、殲滅(せんめつ)は少ない。まずかった」と講演しているのである。
チャンの言う、強姦2万件、虐殺35万人という記録は当時の記録にはない。これを歴史の偽造以外の何物でもない。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.