Re: 高森アイズのおかしな3つの疑問(笑)
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2008/02/07 02:42 投稿番号: [22307 / 41162]
>>1
南京虐殺記念館が1985年から
造られた。
>なにか 問題でもあるのだろうか? 日本の教科書問題が中国でも問題になったから 改めて 日中間の歴史問題として 事実を 国民に知らせるべきだとの認識から このような 記念館を造ろうとしただけの話ではないのか?
1970年代までは話題にもならなったのは何故?
大虐殺事件があったというのに、その間は誰も語らず、教科書にも記載せず、記念館も造らず誰も知らなかったのだよ。
1970年代になってから突如日本で話題となって支那人も知るようになり、1980年代になってから教科書に記載し、記念館を造るのはおかしいと思わないか?
>その後靖国神社問題も 含めて 中国に嫌悪感を起こさせる問題を惹起させたのは日本側だと思うけどね。
日本の首相の靖国神社参拝に支那が文句を言い始めたのも1980年代になってからだ。
それまで支那は、日本の首相の靖国神社参拝に何の文句も言っていなかった。
何故???
1979年
大平正芳首相が春と秋の例大祭に靖国を参拝し、国内メディアは合祀と首相の靖国参拝について執拗に報道
1979年12月
大平正芳首相は夫人を伴って支那を訪問、支那は大平正芳首相を熱烈大歓迎。「中日友好医院」建設、対支円借款などを約束
1982年9月
鈴木善幸首相が支那を訪問、(北京政協礼堂で)日支国交正常化10周年記念講演
1984年3月
中曽根康弘首相が支那を訪問、「日中友好21世紀委員会」発足、4700億円の円借款供与で合意
――――――
元A級戦犯合祀(1978年)━⇒━⇒━⇒━⇒支那が首相の靖国神社参拝に反発(1985年)
この間の日本の首相の靖国神社参拝
大平正芳首相
1979(昭和54)年から1980(昭和55)年にかけて3回
(1979年4月21日・同年10月18日・1980年4月21日)
鈴木善幸首相
1980(昭和55)年から1982(昭和57)年にかけて9回
(1980年8月15日・同年10月18日・同年11月21日・1981年4月21日・同年8月15日・同年10月17日・1982年4月21日・同年8月15日・同年10月18日)
中曽根康弘
1983(昭和58)年から1985(昭和60)年にかけて10回
(1983年4月21日・同年8月15日・同年10月18日・1984年1月5日・同年4月21日・同年8月15日・同年10月18日・1985年1月21日・同年4月22日・同年8月15日)
>1. 上海暴動後 停戦協定も結ばれ暴動も収まりかけた時点で 近衛内閣はナゼ 上海派兵増派したのだろうか?
「上海暴動後の停戦協定」って、何時の何のこと?
>2.宣戦布告も警告もなく 長崎の大村飛行場より新型長距離爆撃機で南京を無差別爆撃 昼夜違わず 行ったのだろうか?
その前に支那が、宣戦布告も警告もなく大軍をもって上海の国際租界を包囲攻撃したから。
蒋介石が仕掛けた上海戦
大山中尉惨殺事件→包囲攻撃→上海市街爆撃。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/27316312.html
>3.上海派遣軍はなぜ 日本への帰国予定を急遽 変更し 計画にも無かった中国政府打倒 南京攻略戦に突入したのだろうか?
支那が日本の和平案を蹴ったから。
上海戦5 中国和平を蹴る
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/27488212.html
事実確認の大年表
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/24306196.html
>4.なぜ 日中戦争とはいわず 上海事変というのだろうか?
戦争していると自覚がなく、軍事衝突はすぐに終結すると思っていたんじゃないか。
>なにか 問題でもあるのだろうか? 日本の教科書問題が中国でも問題になったから 改めて 日中間の歴史問題として 事実を 国民に知らせるべきだとの認識から このような 記念館を造ろうとしただけの話ではないのか?
1970年代までは話題にもならなったのは何故?
大虐殺事件があったというのに、その間は誰も語らず、教科書にも記載せず、記念館も造らず誰も知らなかったのだよ。
1970年代になってから突如日本で話題となって支那人も知るようになり、1980年代になってから教科書に記載し、記念館を造るのはおかしいと思わないか?
>その後靖国神社問題も 含めて 中国に嫌悪感を起こさせる問題を惹起させたのは日本側だと思うけどね。
日本の首相の靖国神社参拝に支那が文句を言い始めたのも1980年代になってからだ。
それまで支那は、日本の首相の靖国神社参拝に何の文句も言っていなかった。
何故???
1979年
大平正芳首相が春と秋の例大祭に靖国を参拝し、国内メディアは合祀と首相の靖国参拝について執拗に報道
1979年12月
大平正芳首相は夫人を伴って支那を訪問、支那は大平正芳首相を熱烈大歓迎。「中日友好医院」建設、対支円借款などを約束
1982年9月
鈴木善幸首相が支那を訪問、(北京政協礼堂で)日支国交正常化10周年記念講演
1984年3月
中曽根康弘首相が支那を訪問、「日中友好21世紀委員会」発足、4700億円の円借款供与で合意
――――――
元A級戦犯合祀(1978年)━⇒━⇒━⇒━⇒支那が首相の靖国神社参拝に反発(1985年)
この間の日本の首相の靖国神社参拝
大平正芳首相
1979(昭和54)年から1980(昭和55)年にかけて3回
(1979年4月21日・同年10月18日・1980年4月21日)
鈴木善幸首相
1980(昭和55)年から1982(昭和57)年にかけて9回
(1980年8月15日・同年10月18日・同年11月21日・1981年4月21日・同年8月15日・同年10月17日・1982年4月21日・同年8月15日・同年10月18日)
中曽根康弘
1983(昭和58)年から1985(昭和60)年にかけて10回
(1983年4月21日・同年8月15日・同年10月18日・1984年1月5日・同年4月21日・同年8月15日・同年10月18日・1985年1月21日・同年4月22日・同年8月15日)
>1. 上海暴動後 停戦協定も結ばれ暴動も収まりかけた時点で 近衛内閣はナゼ 上海派兵増派したのだろうか?
「上海暴動後の停戦協定」って、何時の何のこと?
>2.宣戦布告も警告もなく 長崎の大村飛行場より新型長距離爆撃機で南京を無差別爆撃 昼夜違わず 行ったのだろうか?
その前に支那が、宣戦布告も警告もなく大軍をもって上海の国際租界を包囲攻撃したから。
蒋介石が仕掛けた上海戦
大山中尉惨殺事件→包囲攻撃→上海市街爆撃。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/27316312.html
>3.上海派遣軍はなぜ 日本への帰国予定を急遽 変更し 計画にも無かった中国政府打倒 南京攻略戦に突入したのだろうか?
支那が日本の和平案を蹴ったから。
上海戦5 中国和平を蹴る
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/27488212.html
事実確認の大年表
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/24306196.html
>4.なぜ 日中戦争とはいわず 上海事変というのだろうか?
戦争していると自覚がなく、軍事衝突はすぐに終結すると思っていたんじゃないか。
これは メッセージ 22297 (yominokuni56 さん)への返信です.