チャイナは満州で何をしたか
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2008/01/02 12:43 投稿番号: [22002 / 41162]
>国策として遂行されたんじゃないの?
「じゃない。」ですね。
そもそも「国策として決定されたから石原莞爾が遂行した」わけではないですね。
石原らの独自の考え方を独断で実践し、「政府は分裂を恐れて追認せざるを得なかった」ということですね。
この背景には、「幣原喜重郎の平和外交路線」があります。
「日本が侵略行動はしない」という「誠意」を具体的に見せれば、「チャイナも誠意ある対応をしてくれる」と思っていたでしょうが、日本には共存共栄思想がありますが、チャイナはおろかコリアンにも満州族にすら弱肉強食思想しかなく、そこに”誠意”を見せた途端、「満州を乗っ取っても日本は攻められない」と見て取ったチャイナは満州に「数千万の棄民」を送り込みました。
もちろんチャイナは棄民に「必要な資金」など渡すはずも無く、「生き延びたければ日本人居留民および満州市民を騙し脅し殺して奪い取れ」ということです。(僅かでも居留民に資金を渡していた日本が追いつくはずはありません。)
清時代「チャイニーズが満州に入ることは禁じ」られており、本質的に満州はチャイニーズのものであるはずはありませんでした。
しかし、リットン調査団が満州入りしたときには、満州地域の人口の過半数はチャイニーズの棄民で占められていました。
日本は「日清戦争、日露戦争の結果」として、満州地域の実質的な権益を得ましたが、チャイナはプロパガンダで国際世論を動かすことで、「本来自分のものではない満州」を得て「日本人を追い出そう」としたわけです。
日本が膨大な国民の血と破産寸前に追い込まれるまでの資金資材をつぎ込んで清(満州人の国)やロシアから勝ち取ったものを
幣原外交につけ込んだチャイニーズは謀略でひっくり返そうとしたわけです。そして「日本人居留民に対する酷い暴行やレイプ、放火、殺人」が相次ぎましたが、日本軍が満州内で十分に取り締まることはできませんでした。
結局、チャイナの謀略に対して「起こるべくして満州事変は起きた」ということです。
ある意味では、「日本政府の失策で満州を失う」ところだったのを「関東軍が泥を被ることで阻止した」と言えます。
これが軍部に「政府の言う事をまともに聞いていると日本が滅ぶ」という政府不信となり「軍部独走」につながったわけです。
これは メッセージ 21996 (yominokuni56 さん)への返信です.
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