Re: デリの悪あがき(武藤章尋問調書)1
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/12/01 14:05 投稿番号: [21771 / 41162]
>?????????(笑)
>調達
そう。
日本軍はカネを払って食料を調達してた。
>>尚、徴発や労役に関しては、原則として現金を支払った。
>>貨幣は最初、日本銀行券と法幣を使ったが、当時、日本の国際収支がよくなく、外貨準備も裕福でなかったので、内地の円に影響が現れ、金融面、為替管理に不都合を生じた。
>>その為、急遽、10月の閣議で軍票の発行が決まり、11月の第十軍杭州湾上陸から、軍票支払いに切り替わった。
>あはははっは、、徴発って書いてあるんじゃないの?(笑)
>徴発=購入じゃないよね(笑)
カネを払って徴発してたと説明してるじゃん。
>ほんでね、、軍票はだ、、日本政府 日本軍 ご指定のお店でなきゃ 利用できない 有価証券?なんだけどね。 僅か3月ほどで しかも 殺し合いやってる敵地で、日本軍御用達のお店がオープンしてるとは思わないけどね、、常識的にね(笑)
嘘吐くな。
日本軍の占領地なら不自由なく使えた。
トップ > 政治 > 軍事 > 南京虐殺はでっち上げと確信している
――――――――
軍票の購買力 2005/11/25 4:40 [ No.34946
投稿者 :
unhoo
昭和16年の春、わしの年上の友人で、上海の日本人の会社の社員であった人が、当時上海で最も有名なカメラ店、日本人経営の千代洋行で、最新型のライカカメラを軍票820円で買った。わしは付き添って行き、うらやましかったから、よくおぼえている。当時日本国内では1000円以上した。
わしは昭和16年の春、上海に一ヶ月ほど滞在し、いったん台湾へ帰って(わしは台湾人で、ライカを買った友人も台湾人)、昭和17年の春にまた上海に行き、そのまま終戦後の1946年まで上海に滞在していた。軍票は昭和19年(18年かも知れない。記憶不正確)まで上海、南京での標準通貨だった。中支以外の日本軍占領区でもそうだったはずだと思うが、見て来たのでないから、断言は差し控える。昭和19年ごろ、日本軍と汪精衛政府との協定で、軍票の流通を廃止することになり、軍票1円が汪清衛政府の中央儲備銀行券2元に交換されて、軍票は市面から姿を消した。軍票は発行されてから廃止されるまでの6、7年間、確実な購買力があった。日米戦争が始まってからは、物の欠乏で、物価がどんどん上昇したが、軍票が儲備銀行券に交換されるまで、物を売る人が軍票による支払いを拒絶したことはなかった。
――――――――
>、食料は中国民衆の物を強奪 抵抗者は射殺して進軍したんだよね。僅か3ヶ月で電撃的に南京までたどり着いたってことだよ 約500kmの道のりを8方に分かれ 約15〜6万人の日本兵が南京城を目指し 競争したんだったね。
だから、カネを払って調達したと資料を示して述べただろ。
>>*11月22日
>>「両軍ノ補給ハ連日ノ追撃前進二伴ハス已ムナク飛行機ヲ以テ空中ヨリ糧食・弾薬ヲ投下シ其急ヲ救フノ状ナリシカ、今日ノ晴天御蔭シ今後逐日其状勢ヲ恢復スルコトヲ得ン」
>なっ いかに日本軍が食料に困窮してたか 手に捕るように判る 抜き書きだな(笑)
しかも どこの部隊に 空から落としたか? 書いてないな(笑)
ちゃんと足りたと書いてあるが、何か(・0・)?
>これらは伝聞か? そうだろう (笑)
資料に基づいた事実だが、何か(・0・)?
>調達
そう。
日本軍はカネを払って食料を調達してた。
>>尚、徴発や労役に関しては、原則として現金を支払った。
>>貨幣は最初、日本銀行券と法幣を使ったが、当時、日本の国際収支がよくなく、外貨準備も裕福でなかったので、内地の円に影響が現れ、金融面、為替管理に不都合を生じた。
>>その為、急遽、10月の閣議で軍票の発行が決まり、11月の第十軍杭州湾上陸から、軍票支払いに切り替わった。
>あはははっは、、徴発って書いてあるんじゃないの?(笑)
>徴発=購入じゃないよね(笑)
カネを払って徴発してたと説明してるじゃん。
>ほんでね、、軍票はだ、、日本政府 日本軍 ご指定のお店でなきゃ 利用できない 有価証券?なんだけどね。 僅か3月ほどで しかも 殺し合いやってる敵地で、日本軍御用達のお店がオープンしてるとは思わないけどね、、常識的にね(笑)
嘘吐くな。
日本軍の占領地なら不自由なく使えた。
トップ > 政治 > 軍事 > 南京虐殺はでっち上げと確信している
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軍票の購買力 2005/11/25 4:40 [ No.34946
投稿者 :
unhoo
昭和16年の春、わしの年上の友人で、上海の日本人の会社の社員であった人が、当時上海で最も有名なカメラ店、日本人経営の千代洋行で、最新型のライカカメラを軍票820円で買った。わしは付き添って行き、うらやましかったから、よくおぼえている。当時日本国内では1000円以上した。
わしは昭和16年の春、上海に一ヶ月ほど滞在し、いったん台湾へ帰って(わしは台湾人で、ライカを買った友人も台湾人)、昭和17年の春にまた上海に行き、そのまま終戦後の1946年まで上海に滞在していた。軍票は昭和19年(18年かも知れない。記憶不正確)まで上海、南京での標準通貨だった。中支以外の日本軍占領区でもそうだったはずだと思うが、見て来たのでないから、断言は差し控える。昭和19年ごろ、日本軍と汪精衛政府との協定で、軍票の流通を廃止することになり、軍票1円が汪清衛政府の中央儲備銀行券2元に交換されて、軍票は市面から姿を消した。軍票は発行されてから廃止されるまでの6、7年間、確実な購買力があった。日米戦争が始まってからは、物の欠乏で、物価がどんどん上昇したが、軍票が儲備銀行券に交換されるまで、物を売る人が軍票による支払いを拒絶したことはなかった。
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>、食料は中国民衆の物を強奪 抵抗者は射殺して進軍したんだよね。僅か3ヶ月で電撃的に南京までたどり着いたってことだよ 約500kmの道のりを8方に分かれ 約15〜6万人の日本兵が南京城を目指し 競争したんだったね。
だから、カネを払って調達したと資料を示して述べただろ。
>>*11月22日
>>「両軍ノ補給ハ連日ノ追撃前進二伴ハス已ムナク飛行機ヲ以テ空中ヨリ糧食・弾薬ヲ投下シ其急ヲ救フノ状ナリシカ、今日ノ晴天御蔭シ今後逐日其状勢ヲ恢復スルコトヲ得ン」
>なっ いかに日本軍が食料に困窮してたか 手に捕るように判る 抜き書きだな(笑)
しかも どこの部隊に 空から落としたか? 書いてないな(笑)
ちゃんと足りたと書いてあるが、何か(・0・)?
>これらは伝聞か? そうだろう (笑)
資料に基づいた事実だが、何か(・0・)?
これは メッセージ 21729 (yominokuni56 さん)への返信です.