南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 3万人の死体の量、バービーヤール

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2007/10/30 16:27 投稿番号: [21354 / 41162]
>毎分500発でどれだけの時間撃てるのだ。>

13歳の八毛おじちゃん、たまには自分でお勉強しようね〜。

(wikipedia   参照:)
有名な銃器設計者である南部麒次郎により国産軽機関銃の研究・開発は進められ、様々な試行錯誤の後、1922年(大正11年)十一年式軽機関銃が完成する。この機関銃の特徴は、その独特の給弾システムにある。 当時世界で使用されていた機関銃の給弾システムは、専用のマガジンや、専用の保弾板を使用したり、ベルト給弾をするものが大半で、これらの給弾システムの何れもが専用の部品を必要とした。しかし、十一年式軽機関銃の給弾方法は専用の機材等を必要とせず、歩兵が装備する小銃と同じ弾帯を使用できた。当時、日本軍が使用していた三十八年式小銃は、銃弾が5発束ねられたクリップを使用し銃に弾を装填していた。十一年式軽機関銃はこの弾が束ねられたクリップをそのまま使用できた。つまり、機関銃であっても小銃と同じ補給で運用でき、独自の補給系統を必要としなかった。この事は、小資源国家である日本にとって大きな利点と言え、設計者もそれを狙って小銃用のクリップを装てんするシステムにしたと思われる。 この設計思想は、考え様によっては今日の分隊支援火器(SAW)に通ずる戦術思想とも言える。

初期の軽機関銃と言うこともあり、他国には例を見ない独特のデザインがされていた。中でも銃床がグリップ部に連結しているスタイルは特徴的である。 このグリップ一体型の銃床は、結合部の結合ピンを抜いて銃床を取り外し、上下反転させた状態で再度銃本体に結合させることにより、容易に潜射銃(塹壕から射手が身体を出さずに、銃だけを塹壕から突き出して射撃が行える銃。第1次世界大戦時に塹壕戦用兵器として考案された)として用いることができるように設計されたものである。
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