南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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稲田朋美著『百人斬り裁判から南京へ』

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2007/09/24 02:02 投稿番号: [21071 / 41162]
  百人斬り裁判に於て朝日新聞が証拠として持ち出した望月五三郎著私家本『私の支那事変』について、稲田朋美著『百人斬り裁判から南京へ』より引用。

『   この本の間違いの多さは二〇〇ヶ所におよぶ大変なもので、この本の間違いを指摘するために阿羅健一氏が意見書を書いた。

  阿羅さんは「はじめてこの本を手にしたとき、あまりにも多い間違いに、本当の体験記なのか、と思いました。頁をめくるたび明白な誤謬が目に飛び込んできます。些細な間違いではなく、致命的な間違いです。ざっと数えただけでも、二百はあります」と意見書の冒頭に書いた。
  まず、本当に軍隊経験のあるものが書いたのかと驚くような間違いがいくつもある。例えば、望月氏の部隊は大連を発って、上海方面に向かうのだが、そのときの様子を「潜水艦の水先案内で軍用船は静かに岸壁をはなれていった」と書いている。
  潜水艦が水先案内することはないし、大連は潜水艦が護衛するほど危険な場所ではない。
  そして、上海付近の揚子江岸に上陸し、戦闘を重ね、いよいよ南京城の中山門から突入する。そのときの場面描写は、
「重機関銃、軽機関銃の猛射で城壁は破壊されていく」
「周囲に掘りめぐらされた、戦車壕を工兵隊がうめている。戦車壕がうまった。戦車が城門めがけて激突破した、城門がギイイと音をたててくずれた」
  戦車が城門めがけて激突というのだから驚きである。もし本当に激突などすれば、戦車が壊れる。城門の内側には土嚢が積まれ、びくともしないはずだ。
  創作としかかんがえられない。実際には中山門は、くずれた城壁を登って歩兵が内側に入り、その土嚢を取り除いて、ようやく夕方、戦車が入れるようになったのである。
  さらに「敵前立哨中の居眠りは銃殺」ともある。銃殺?   こんな厳しい軍隊があったら、緊張で戦う前に兵士は倒れてしまうだろう。

  南京攻防戦もいたるところに基本的な誤りがいくつも記載されている。南京への進路を大雑把にいえば、常州という町から丹陽をとおり、南京へ至る。ところが望月氏は、「常州へと進撃する行軍中の丹陽付近で大休止」と書く。基本中の基本の地理すら間違っているということだ。
  しかもここで「百人斬り」について記載されているのだが、日付が一一月二七日、二八日となっており、丹陽が占領されたのが一二月二日だからまったく日付も間違いだらけということになる。・・・・』

  城門に激突して破壊突破する武器は「撞車」と言います。中世以前の武器ですが、望月五三郎という人は戦車と撞車の区別もつかないようですねw
  何より致命的なのは、常州→丹陽→南京の道程を丹陽→常州→南京と間違えていることでしょう。
  地図はこの通り。
  http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/map01.jpg
  望月五三郎私家本がどの程度の代物かこれだけでも分かろうというものです。
  前々から嘘くさいとは思っていましたが、これ程酷いとは・・・・
  こんないい加減な代物が証拠として採用されたなど、怒りすら感じます。

  この本には他にも、裁判所が証人申請を却下した、「百人斬り」が虚構であることを示す証言が収録されています。
  百人斬り訴訟を支援する会が出版を予定している、より詳細な訴訟記録が楽しみです。

  最後に、望月五三郎私家本についてもう一箇所引用。

『・・・・この本の著者である望月氏はすでになくなっていた。裁判の支援者がその親族を探し当ててくれた。私は思い切って電話をした。その人はいった。「だれもあんな人のいうことを信用していませんよ。親戚にも迷惑ばかりかけていました。そういう本を書いて関係者の方々に送ったということですが、だれも相手にしていないと思います」と。・・・・』
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