南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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アジアの教科書 ミャンマーの教科書2

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2007/07/14 10:12 投稿番号: [20037 / 41162]
ビルマ軍は30人志士に始まり、ビルマ独立義勇軍(BIA)ビルマ防衛軍(BDA)を経て、ビルマ国軍(BNA)へと変遷をとげていた。この間、
国内においてはミンガラドン士官学校、国外では海南島、台湾そして日本の仕官学校での訓練を積み、日本軍とともにイギリス軍と戦って実践のよき経験を重ねてきた。ファシスト日本に対して反乱をおこすためにビルマ軍は、精神面でも戦闘技術についても向上してきていた。

また、タキン、テイペイ・タキン、ティンシュエら一部の指導者は日本軍の侵攻直後からインドへ渡り、連合軍司令部と接触を保っていた。

1944年8月にはファシスト日本打倒連盟(AFO=AntiFascistOrganization)が結成され、ビルマ国軍、共産党、人民革命党がこれに加わった。その後   ライカ民族連盟、カレン中央本部、東アジア青年連盟なども加わってきた。
後に、この組織は反ファシスト人民自由連盟(AFPFL=Anti_FascistPeoplesFreedomLeague)と名称を変更した。

1944年連合軍指導部と合意に達し、1944年末から45年初めには武器援助を得るようになった。

理念と行動
イギリスの帝国主義的な搾取に対しては、これに歯向かい、掃討に成功したものの、ビルマは1942年には資本主義の最悪の形態であるファシズムに直面しなければならなかった。このファシズムをビルマのみならず、地球上の全ての地域から完全に消え去るまで粉砕しょうと言うのがAFPFLの基本理念であり、目的でもあった。

アウンサン将軍の下で反ファシスト反乱の準備は着々と進められ、敵軍討伐の名を借りて、作戦行動を起こす許可を日本軍司令部に求めた。当事   インド・ビルマ国境地帯からの退却(1944年3月開始の「インパール作戦」は失敗に終わり,7月退却し始めていた)に移っていた日本軍は、この作戦行動の開始を認めた。

1945年3月17日ラングーンのトオフランイエ公園において、アウンサン将軍率いるビルマ国軍は閲兵式を挙行した。
4月2日に全国で一斉蜂起することが決められていたが、連合軍の前線部隊が国境を越えて、ビルマ国内に進撃してきた状況をみて、バトゥー少佐が3月8日に反乱を開始した。そのため、反日ファシスト反乱決起の日時は予定より繰り上がり,3月27日となったのである。

勝利
ビルマ全土に住む諸民族を含めた全ての国民は、国軍兵士として、あるいは各地におけるゲリラ隊員として、反日・反ファシスト反乱に加わった。
全国的な反乱が起きる前に、ラカイン管区では人民が連合国軍からの武器を手に反日・反ファシストの反乱に決起し、見事に日本軍を掃討していた。
カチン・カヤー・カレンなどの諸民族もビルマ族と手を組み闘争に参加しており、チン特別区においても、同様の戦いが始まった。こうした戦いがあった為に連合国軍のビルマ進撃が予定よりも早まったのである。


一般情勢   日本時代
1942年3月イギリス軍を追い出し、ラングーンを占領した日本軍はタキン・トゥオウに命じて、治安委員会と称する行政組織を各都市に作らせた。
バマオ博士を首班とする暫定内閣を組織させた。しかし、行政組織の各部署には日本人顧問が必ず任命されていた。

1943年8月日本はビルマに「独立」を供与し、バマオ博士を行政府の長(アディパティ)に任命した。内閣総理大臣の役割を果たすものであった、アディパティは各省大臣を任命した。政府のスローガンは「ひとつの血、ひとつの声、ひとつの命令」であった。内閣のほかに、
アディパティが任命した議員による諮問評議会が設置された。
しかし、どのような諮問機関が設置されようとも、バマオ博士の率いる政府は日本軍の命令を実施するだけの政府であった。

経済
日本はビルマ国民が必要とする物資を供給できなかったばかりか、物資を運搬する船舶にも不足をきたしていた。ビルマからは米、チーク材、綿花をはじめ鉄くずや古自動車まであらゆる物を日本へと持ち去った。
日本の銀行は全く保証の無い紙幣(軍票)を際限なく発行し、ビルマの経済を破壊した、価値の無い紙幣で米や穀物を買い、時にはそれさえ払わず、もち去ることもあった。
日本時代の外国貿易は三井や三菱といった日本の大企業に独占されていた。
食糧、衣料品、医薬品の不足に苦しめられ、豆やトウモロコシ、タロ芋を食した。ビルまで取れる全ての綿花だけでなく、古着に至るまで日本人が持ち去った。マラリア、天然痘、ペスト、疥癬といった病気が蔓延した。
日本時代には、ビルマ語が公用語になり、英語に代わって日本語を学ばなければならなくなった。
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