死にたいよみ君の主張(その2)
投稿者: yousunwai 投稿日時: 2007/07/13 20:03 投稿番号: [20015 / 41162]
>(よみ君)君は人間の誇りまでも失っても
生きていたい人なんだろうか?(No.19936)
まーよみ君はこう主張してますよね。これだけなら、あーそうか。
個人的な思いって話しですが、
この主張は、核戦争への対処としての議論の中で、反論の一部として出てきた主張です。
繰り返しますが、この話は、
己の信念や理念、哲学やましてスピリチュアルな話し等をしている最中に出てきた話でもありません。
物理的に核戦争への対処の話しをしていた中で出てきた主張です。
この場合、「誇りまでも失っても」とは、核への対処を議論しているという前提がありましたので、
核による攻撃を受けた後という理解をしました。
そして、「生きていたい人なんだろうか?」と、続きます。
もちろんこれは反語でしょう。死ぬのが良い。という意味を反対の意味の言葉で疑問形で書いているのではないかと思います。
さて、以前、よみ君の主張は核に対処する方法論としては、
「主張や祈り等」以外、認めていないと思っていました。
ちなみに他の方法という言葉をどこかで主張していたような気はしますが、
「主張や祈り等」ではない他の方法について知りうる限りでは具体的な言及がないので、
結局、「主張や祈り等」しかないと判断していました。
>(よみ君)方法論?
原爆被爆の被害だけを展示してそれが
非核化に繋がるとでも?
>(よみ君)人道的
博愛主義的方法だけで、非核化が実現するなど
誰も信じちゃいないってことだよ。(No.19936)
ところが、よみ君によれば、「祈りと主張等」は核に対処するための方法論ではなかったようです。
そして、よみ君の主張にはまだ続きがあります。(その3へ)
これは メッセージ 20014 (yousunwai さん)への返信です.
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