Re: ふかがわ爺さんへ re夏服
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2007/06/09 10:23 投稿番号: [18976 / 41162]
>南京の冬は日本の冬とは過酷さが全く違う。
真冬で半袖しかも軍服でとと言うのは無理があるのでは?
真冬で半袖の兵士が沢山いたと言われていたソースの提示を
お願いします。>
どうぞ:
(google参照)
元毎日新聞記者
佐藤振壽
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「大毎」の松尾カメラマンが、藤田部隊に従軍して中華門攻撃の写真を撮っていた。そんなことから少佐は「大毎」南京支局をよく訪れた。
たまたま私が中国軍将校の冬オーバーを入手して、それを着ていたところ、「佐藤さん、それをわしにくれんかね」と無心された。
一二月も下旬となると南京でも霜を置くような気温になるのに、藤田少佐はまだ夏服を着ていたのである。
階級章は中国軍の少将だったのを、少佐の階級章に直して着ていた。
[元毎日新聞記者
佐藤振壽「従軍とは歩くこと」12月20日の記事
「南京戦史資料集Ⅱ」偕行社、1993年、p.630]
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曾根一夫
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南京攻略戦は御指摘のとうり、厳冬期である。軍隊が衣替えして冬服になるのは十月であったから、一二月の季節に夏服でいるのは不自然と思われるかも知れない。
しかし、それは平時の考え方である。戦地でもこれに準じて衣替えしたのはもちろんであるけれど、条件の悪いところではそうばかりゆかない場合があった。
<途中省略>
これによって南京後略戦のときにも、出発までに支給ができず、八月下旬か九月上旬に内地から着用してきた夏服で従軍して部隊が沢山あった。
このように戦場では常識で割切れないことがあった。虐殺現場にいた兵隊が夏服を着用していても、おかしなことではない。
[曾根一夫「続
私記南京虐殺」彩流社、1984年、 p.84-85]
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>貴方は中国人を面白がって殺していたと言うことでしょうと
書かれていますが根拠は?
想像ではいけませんよ>
子供の頃、私の親戚のじいさんは、中国人の首をちょん切った
と自慢してました。
当時は、武勇伝を喜んで話す人間がいたもんです。
百人斬りのあほ少尉も自分の出た小学校で、子供あいてに武勇伝を
語ってるようですね。
外国のgoogleには日本兵は娯楽の為に捕虜を殺したというフレーズが
たくさんでてきますよ。
それが、世界でとらえられている旧日本軍の印象でしょう。
これは メッセージ 18971 (aiyakosimasyo さん)への返信です.
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