Re: deli君ここにもいたのか
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/06/08 23:01 投稿番号: [18949 / 41162]
>南京軍事裁判での被害者名簿は無いという証拠は?
「無いという証拠」は、「有る」と言ってる奴が全く示さないこと。
>全否定するなら調べた上での話しになるんじゃないの。
戦後、南京戦から8年くらい経った頃に作った百人位のインチキ名簿なら知ってるけど、日本軍に虐殺された犠牲者の名簿が終戦前に作られたことはない。
>アメリカ人記者達が目撃した大量処刑された中国人が何故便衣兵だとわかったの?
アメリカ人記者達って、何人がオアフ号に乗っていて、何人がその記事を書いたの?
市民大虐殺なら、全員が記事にしたはずだが、一部の嘘吐き記者しか記事を書かなかっただろ?
しかも、その嘘吐き記者だって、処刑されたのは「男性」とか「中国人」としか言っておらず、「無辜の民間人」とか「支那兵」とは言ってない。
「無辜の民間人」でもなく「支那兵」でもない「支那人男性」と言ったら、残るは「便衣兵」しかないだろ。
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上海行きの船に乗船する間際に、記者はバンドで二〇〇人の男性が処刑されるのを目撃した。(ダーディン)
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南京を離れるとき、われわれ一行が最後に目撃したものは、河岸近くの城壁を背にして三〇〇人の中国人の一群を整然と処刑している光景であった。(スティール)
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12月15日の昼間は、戦闘の真っ最中だ。
日本軍は戦闘中に、白昼、人前で組織的に市民を大量処刑するほどヒマじゃなかった。
日本軍は便衣兵摘出の調査をしっかりやったから市民を間違えて摘出・処刑することはなかった。
そもそも、支那軍に徴兵もされず南京の安全区に居られた若い男なんて余ほど特別な者であり非常に珍しい。
日本軍が便衣兵を摘出して処刑した資料なら幾つもあるが、日本軍が市民を連れ出して大量処刑した資料はない。
>南京市郊外は、焦土作戦では無人地帯にはならなかったと東中野先生がいっていることについて、わかってくれた様だな。
(・・。)は??
何のことだ?
支那軍は、上海〜南京、また、南京城壁の周囲1〜2キロにある居住区全域と南京城から半径16キロ以内にある道路沿いの村落と民家を強制的に焼き払った。
>中国は、「南京事件」を知らなかった。という事は東中野の勘違いだったということもわかった様だな。
支那は日本軍が南京市民を大虐殺した認識は無かったよ。
>そういえば、ダーディンは1937年12月15日には南京にいなかったといったはずだが、それは単純ミス?
?(´ヘ`;)ハァ
そんなことを言った覚えはないな。
ダーディンは、12月14日の夜遅くから12月15日の昼過ぎまでしか南京に居なかった。
これは メッセージ 18905 (mrdassennman さん)への返信です.
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