Re: 「盧溝橋事件の真相」=牟田口 廉也?
投稿者: anti_mainas_shikou 投稿日時: 2007/06/02 18:22 投稿番号: [18716 / 41162]
虚偽を交えた歴史、ご苦労さん。
本当の歴史を書こう
1937年7月
4日、冀察外交専員の林耕宇より、空砲の演習でも事前連絡してくれとの要請あり。
そこで、 《7月6日、7日、9日、10日の4日間、日本軍が盧溝橋の原で昼夜空砲を使って演習する》
という事を中国側に通達。
7日夜10時半、盧溝橋での演習終了まぎわ、永定河堤防より銃撃される。
危険なので 「伏せ!」 とやると、また、十数発跳んで来た。
点呼すると、一人足りない。
そこで、豊台に騎馬で連絡にいかせた。
一木大隊長が、旅団に連絡したら、旅団長が出張中なので、連隊に電話、牟田口連隊長が出、
「部下を率いて談判に行きたい」 と許可を求めると、連隊長が許可した。
一方、旅団から特務に連絡が行き、寺平補佐官が軍使として派遣されることが決定。
この時、林耕宇も立会人として呼ばれる。
寺平補佐官や林耕宇らが特務にいる時、旅団より、行方不明の兵士が戻ったことの連絡がはいる。
従って、これは議題にならない。
8日午前三時二十分ころ第3回目の銃撃があった。
午前四時少し前 軍使一行出発
現地より仮設電話が開通、連隊と通話。 牟田口連隊長は、軍使派遣を伝える。
一木大隊長は、また、銃撃があった事を報告、反撃の許可を求める。
午前四時二十分!牟田口連隊長は、許可す。
午前五時三十分、軍使が宛平城に入って、交渉中、第4回目の銃撃があり、日本軍反撃を開始す。
人質状態の中、補佐官は、どうやって戦闘を停止させるかを考えた。
永定河を挟んで両側に軍を引き離すというもの、これを営長の金振中に話すと賛成。
ただし、「自分はこの城の防備を任されている。自分の一存では動けない」と言った。
そこで、北京に行って話をつけることとなった。
しかし、市長の秦徳純が逃げて捕まらない。やっとのことで捕まえて、交渉するが、応じない。
9日午前1時10分 やっと兵の分離案を受け入れた。
午前5時、日本軍が引揚げようとすると、宛平城から砲撃してきた。
特務に怒りの電話がかかってきた。 「機関は二十九軍の親戚かッ!」
それで、また、交渉となった。
10日午後4時、停戦協定の詰めの本交渉の間、不測の事態があってはいけないので、
軍を動かさないよう、中国側から申し入れが、あった。
日本軍が約束を守っていると、中国軍が夜襲をかけてきた。
これより先、埼玉県の海軍受信所は7月10日(土)午後2時、北京の米海軍武官から米本土にあてた
「信頼スベキ情報ニヨレバ、第29軍、宋哲元麾下ノ一部将兵ハ現地協定ニアキタラズ、
今夜7時ヲ期シ、日本軍に対シ攻撃ヲ開始スルコトアルベシ」という電報を傍受していた。
この情報はすぐさま、陸軍省に伝えられたが、陸軍側は
「何かのデマだろう、現地協定ができている以上、そんな事はある筈がない」
と取り合わなかった。
結果、襲撃された。
つづく
本当の歴史を書こう
1937年7月
4日、冀察外交専員の林耕宇より、空砲の演習でも事前連絡してくれとの要請あり。
そこで、 《7月6日、7日、9日、10日の4日間、日本軍が盧溝橋の原で昼夜空砲を使って演習する》
という事を中国側に通達。
7日夜10時半、盧溝橋での演習終了まぎわ、永定河堤防より銃撃される。
危険なので 「伏せ!」 とやると、また、十数発跳んで来た。
点呼すると、一人足りない。
そこで、豊台に騎馬で連絡にいかせた。
一木大隊長が、旅団に連絡したら、旅団長が出張中なので、連隊に電話、牟田口連隊長が出、
「部下を率いて談判に行きたい」 と許可を求めると、連隊長が許可した。
一方、旅団から特務に連絡が行き、寺平補佐官が軍使として派遣されることが決定。
この時、林耕宇も立会人として呼ばれる。
寺平補佐官や林耕宇らが特務にいる時、旅団より、行方不明の兵士が戻ったことの連絡がはいる。
従って、これは議題にならない。
8日午前三時二十分ころ第3回目の銃撃があった。
午前四時少し前 軍使一行出発
現地より仮設電話が開通、連隊と通話。 牟田口連隊長は、軍使派遣を伝える。
一木大隊長は、また、銃撃があった事を報告、反撃の許可を求める。
午前四時二十分!牟田口連隊長は、許可す。
午前五時三十分、軍使が宛平城に入って、交渉中、第4回目の銃撃があり、日本軍反撃を開始す。
人質状態の中、補佐官は、どうやって戦闘を停止させるかを考えた。
永定河を挟んで両側に軍を引き離すというもの、これを営長の金振中に話すと賛成。
ただし、「自分はこの城の防備を任されている。自分の一存では動けない」と言った。
そこで、北京に行って話をつけることとなった。
しかし、市長の秦徳純が逃げて捕まらない。やっとのことで捕まえて、交渉するが、応じない。
9日午前1時10分 やっと兵の分離案を受け入れた。
午前5時、日本軍が引揚げようとすると、宛平城から砲撃してきた。
特務に怒りの電話がかかってきた。 「機関は二十九軍の親戚かッ!」
それで、また、交渉となった。
10日午後4時、停戦協定の詰めの本交渉の間、不測の事態があってはいけないので、
軍を動かさないよう、中国側から申し入れが、あった。
日本軍が約束を守っていると、中国軍が夜襲をかけてきた。
これより先、埼玉県の海軍受信所は7月10日(土)午後2時、北京の米海軍武官から米本土にあてた
「信頼スベキ情報ニヨレバ、第29軍、宋哲元麾下ノ一部将兵ハ現地協定ニアキタラズ、
今夜7時ヲ期シ、日本軍に対シ攻撃ヲ開始スルコトアルベシ」という電報を傍受していた。
この情報はすぐさま、陸軍省に伝えられたが、陸軍側は
「何かのデマだろう、現地協定ができている以上、そんな事はある筈がない」
と取り合わなかった。
結果、襲撃された。
つづく
これは メッセージ 18699 (yominokuni56 さん)への返信です.