南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 治外法権

投稿者: anti_mainas_shikou 投稿日時: 2007/04/26 00:00 投稿番号: [18192 / 41162]
>中国が横浜やロンドンやニューヨーク、マルセイユなどに租界を持っていましたか??


中国が他国に租界をもっていなかったと思っているの?
とんでもない、朝鮮全土を租界にしていたのだよ。

日本は江華島事件のあと、朝鮮に開港場を要求した。
日本が苦心して港を開かせると、列強も乗って来、清国も加わった。

但し、清国は宗主国の特権で他国にない、特権をのませていた。
日本の進歩的知識人は、日本が開かせた開港場を、租界なみに見做している。   曰く、治外法権と。

そうすると清国は日本以上の特権を保有しているからこれも租界と言える。
日本が、日清戦争前に朝鮮に改革を迫った項目の中に、その特権の排除・平等がある。


その特権による、清国の横暴の一例をしめそう。
明治十五年朝鮮で壬午変乱がおきた。

これは大院君の指嗾を受けた暴徒が、当時朝鮮を支配していた戚賊を襲い、
ついでに日本公使館も襲撃した事件である。

これを知った清国は、日本が軍隊を率いて来る前に、首謀者の大院君を清国に強制連行し、
かつ、朝鮮に軍隊を留め、提督呉長慶に朝鮮政府を監督させた。そのとき清兵の暴行が起こった。


明治十七年一月二十九日、清兵三名が漢城府鐘路大通広橋崔宅英薬局に入り、人参を購買した。
彼等は多く負債があるので、崔宅英の子が之を督促するや、清兵は激怒し、

拳銃を乱射して雀宅英に重傷を負はせ、同人の子を即死せしめた。
統理衙門は直に提督呉長慶に照会して、罪犯の拿獲正法を請求した。

呉提督は之に同意しつつ、敢へて罪犯の逮捕に努めない。

乃ち統理衙門に附属する博文局に於て、其発行する漢城旬報に此事実を掲載し、
且つ清兵の軍規紊乱を非難した。

此記事が偶々李鴻章の注意するところとなり、総弁朝鮮商務陳樹棠に訓令して、
事実を査弁具報せしめた。

呉提督・陳道大に周章し、崔宅英穀事罪犯は、実に清兵の冠服を冒穿した朝鮮人なりと称し、
漢城旬報が官報として風聞を録載した過失を論じ、博文局員の査弁を要求した。

統理衙門は極力釈明に努め、又事実上の責任者たる博文局主事井上角五郎は、
清兵の迫害に生命の危険を感じ、自発的に辞職帰国したため無事解決した。

これが漢城旬報事件である。


しかし漢城旬報事件より重大視せられたのは、前司諫院正言李範晋の不法逮捕事件である。

李範晋は大院君に信任せられた大将李景夏の子であるが、
偶々某所有家屋売却に関して、清国商民と紛争を惹起した。

明治十七年六月二十三日清商務総会董事能廷漢等数十名は大挙して李範晋を襲ひ、
之を持して清商務公署に引致した。

総弁陳樹棠は属員劉家ソウに命じ、偶々来会した刑曹正郎申学休等と共に、
中朝商民水陸貿易章程第二条に従ひ、会同審理せしめようとした。

然るに同條には   「朝鮮人民」   とあり、朝官の逮捕審理には、必ず王命によるを要し、
刑曹官員は擅治する権限がないため、申学休は会同審理を辞退した。

然るに劉家ソウは   「天子法庭」   の四字を啓示したため、申学休は大に驚き、
一言も坑言することが出来なかった


元来清は宗主国ではあっても、朝鮮国内に於て其商民の居住・営業・旅行等の権利は全く認められて居なかった。
日韓修好條規によって、釜山・元山・仁川各港が開港場に指定せられると共に、

清国商民は陸続として朝鮮国内に進入し、殊に中朝商民水陸貿易章程締結せられるや、其傾向は愈々著しく、
彼等は宗主国臣民として、居住・営業・旅行等については、殆ど何等の制限を受けず、
不開市たる京城に於てすら、多数の清商民が朝鮮人と雑居して商業に従事した。


甲申事変(明治17年12月)の後
駐剳朝鮮総理交渉通商事宜升用道袁世凱は、明治十八年十一月十七日京城に着任。
袁世凱は日清戦争の直前まで10年間朝鮮に駐在し、朝鮮を牛耳っていた。

『近代日鮮関係の研究』   田保橋   潔   著より引用


朝鮮全土が清国の租界のようだけど。
治外法権は明らかだね。
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