南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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日本軍との友情記念館がタイにあった

投稿者: anti_mainas_shikou 投稿日時: 2007/04/25 19:05 投稿番号: [18189 / 41162]
『正論』2006年9月号
「発見!世界唯一の日本軍との友情記念館」304〜311ページより抜萃


タイ北西部のメーホンソン県クンユアム。 ミャンマーと国境を接するこの地に、大東亜戦争でのビルマ戦線で戦った日本軍兵士の遺品を展示する 「クンユアム旧日本軍博物館」という歴史陳列館がある。

日本はビルマでの全作戦に約二十六万人を動員し、約十九万人がインド、ビルマ、タイの土に帰した。

博物館は二つの部屋に分けられている。
一つは慰霊の部屋で、正面には大東亜戦争の「開戦の詔勅」と昭和天皇の御真影が飾られている。

もう一つが、展示室となっており、この地に残された日本軍兵士の数々の遺品が所せましと展示されている。
写真も多く飾られているが、日本軍兵士と現地住民との交流の様子を見ることができる。


館長はチェンマイ在住のチューチャイ・チョムタワット氏(六四)。

彼が一九九五年(平成七年)にクンユアム郡警察署長として着任した時、水筒、毛布、鉄帽、飯ごうといった旧日本軍兵士の遺品が、郡内の各家庭で大切に保管されていることに驚愕した。

これらの遺品は日本軍兵士が食糧などとの引き換えに地元住民に与えたもの、
あるいは世話になった御礼に置いていったものだった。


チューチャイ氏は、第二次大戦の記憶を知る人がいる今こそ、歴史の事実を伝えなければいけないと思い、
クンユアム郡をはじめメーホンソン県下の各部の住民やミャンマー人、
そして山岳民族の当時を知る多くの人からの聞き取りを行った。

聞き取りは一九九五年から二〇〇〇年にかけておこなった。当時小学生だった六十五歳以上の人が対象だった。
ビデオや写真を撮りカセットテープを回した。


日本軍に関する証言は、カンチャナプリなどで流布されている「残虐非道な日本軍」といったものとは全く違ったものだった。
この地域で活動していたのは「規律正しい日本軍」であり、「優しい日本兵」だった。日本軍に対する悪評は聞かれなかった。

チューチャイ氏は、聞き取り調査と同時に日本軍兵士の遺品を買い集めた
一九九六年(平成八年)十一月に「クンユアム第二次世界大戦博物館」が開館した。

当時小学生で博物館管理人のジャリア・ウッパラ氏(七二)は「風呂の水汲みなどの手伝いをやっていた。
日本兵は優しかった。私たちの当時の思い出を残したかった」と語った

チューチャイ氏は、個人での収集と管理の限界を感じ、いままでに収集した遺品とその歴史の事実を公的に残すべきだと考えた。平成十七年三月にチェンマイ県に財団法人の設立を申請

同年十一月、チェンマイ県と国家文化委員会より許可を得て、『平和の為の財団』は設立された。
理事長としてチューチャイ氏が選出された。

理事には元運輸大臣のジャルーン・チャオプラユーン氏(七一)がいる。
ジャルーン氏の父は当時のクンユアム郡警察署長をしており、小学生時代をクンユアムで過ごした。

「私は、クンユアムに来た最初の日本兵も撤退する最後の日本兵を見て知っている。
日本兵は村人と協力して生活していた。稲刈りや農作業を行い、子供の面倒を見ていた。
優しい日本兵の思い出は忘れない」


チューチャイ氏は日本人に語りかける。
「私は、クンユアムに日本軍が来ていたという事実を証明したくてこの調査を始めました。

しかし、名前が記された品物を見たり、遺骨が掘り出されたりするのを見ているうちに、
日本の遺族の代理としてこの作業をしているという気持ちになってきました。

ぜひ多くの日本人にこの博物館を見ていただきたい。


日本軍はアジアの国々で残虐な行為をしてきたことが強調されています。恐らくそうした事実もあるでしょうが、
少なくともここではそんなことはなかった。クンユアムの人たちは日本の兵隊さんが好きでした。

そのことを今の日本の人たちに知ってほしいと思っています」

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この地では、虐殺も掠奪も強姦の話もないね。
世間で言われている日本軍の悪評と、ここの話とどちらが正しいのだろう。
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