731部隊と中国軍事法廷
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2007/04/12 15:08 投稿番号: [17828 / 41162]
(google参照):
日本軍の侵略によって最も大きな直接的被害を被った中国では、日本の降伏によって戦争が終わった後、蒋介石率いる国民党と、毛沢東率いる共産党の間で内戦が再発します。そのため、日本軍の戦犯の追及は、共産党軍が国民党軍を打ち破って1949年に中華人民共和国が樹立されるまで、実質的に棚上げにせざるを得ませんでした。その間に、中国で残虐な行為を行った日本人の多くが帰国してしまい、戦犯容疑者として捕らえられたのは、ソ連から引き渡された969人を除けば、山西省に残っていた140人だけでした。
中国の戦犯取り調べはきわめてユニークなものでした。戦犯容疑者として捕らえられた日本人たちは、収容所に入れられたものの、強制的に働かされるわけでもなく、しかも中国人看守より豪華な食事すら与えられました。その一方で、軍国主義の本質と構造を学び戦時中に行ったことを反省する機会が与えられ、自発的に戦争犯罪を供述するように導かれていきました。もちろん、すでに被害者の家族などからの告発や証言は多数寄せられていたので、供述がそれらの告発や証言と一致するまで、粘り強い尋問が止むことはありませんでした。
このようにして得られた供述に基づいて、1956年の6月から7月にかけて、瀋陽と太原で「中華人民共和国最高人民法院特別軍事法廷」が開かれました。実際に裁判にかけられたのは、拘留中に死亡した47名、起訴猶予にして帰国させた1017名を除いた、45名のみです。この中に含まれていた石井機関の幹部は、七三一部隊林口支部長だった榊原秀夫だけでした。医学関係者の被告として他には、各地の陸軍病院で「手術演習」を行った軍医などが含まれていました。
判決もまた、きわめてゆるやかなものでした。処刑されたのは1人もなく、有罪を宣告されても刑期満了前に釈放されました。こうして全員が1964年までに帰国しました。
このように寛大な戦犯裁判の背景には、当時国際社会への復帰を急いでいた中華人民共和国政府の意向がありました。こうして、最大の被害者であった中国の追及をも悪運強く逃れることができ、日本の医学界は安心して、残虐な非人道的犯罪の実行者を要職に据え続けたのです。しかしそれは、自らの犯した行為を正面から見つめ直し、二度とこのようなことはすまいと国内外に宣言するよう迫られる絶好の機会を、日本の医学界が決定的に逃してしまったということでもあります。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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