大川福松について
投稿者: chinotabibito 投稿日時: 2007/04/11 22:59 投稿番号: [17801 / 41162]
はっきりとした検証がなされるべきである。
読売新聞に要求しようか。
1、早稲田の卒業生に「大川福松」が存在するか?
2、1940年ごろまでに早稲田で「最近学」を学ぶことができたか?
3、現在88歳称する大川福松は1941年には22〜23である。大学卒業と同時に招集されたと推定される。
当時の陸軍の任用制度で、大川福松が「衛生伍長」として勤務することはありえたか?
4、復員の経過かどのようであったか?
5、復員後どのような生活をしてきたか?
6、読売新聞によると
>当時の体験を人前で明かしたのは初めてで、「不正なことは、社会に、はっきり示さなあかんと思うようになったから」と語った。<
とあるが、
どういう経緯でそう思うようになったか?
7、どういう経緯で国際シンポジウム「戦争と医の倫理」を知ったか?
8、おなじくシンポジウムに出席する気になったか?
9、読売新聞
>子持ちの慰安婦を解剖したこともあった。「子どもが泣いている前で、母親が死んでいった。子どもは凍傷の実験台になった」と語った。<
「子持ちの」「慰安婦」はどういう経緯で解剖にまわされてきたか?
子供が見ている前で解剖したのはなぜか?
10、大川福松はどんな「技術」を持っていたか?
11、そしてどんな役割をはたしたか?
12、大川福松は「解剖」の所見をどのようにまとめたか?
だれに報告し、どのように利用されたか?
解明しなければならないことが山ほどある。大川福松の言うように「不正なことはあかさなあかん」としても。
88歳は微妙な年齢である。証言の合理性は、早く「検証」しなければならない。
シンポジウムを主催した団体は共産党系であり、これも非常に微妙な問題である。
「子持ちの慰安婦」がなぜ取り立てて証言されたのか、あるいは読売新聞の記事になったのか?
この時期に?
報道がセンセーショナルなわりに、内容の掘り下げがほとんどない。このまま大川福松の「証言」として「固定」してしまう訳には行かないと考える。
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