東條大将の自殺中傷宣伝(2)責任転嫁?
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2007/03/06 06:47 投稿番号: [16868 / 41162]
お前さんくどいね(笑)
>兵士の士気は落ち、ろくな軍教育も受けず徴兵された兵士も多くなり放火、略奪、婦女暴行といった軍法会議犯罪者が続出した。軍紀建て直しの必要性を感じた陸軍は、「盗むな」「殺すな」「犯すな」を徹底させ、規律ある軍人となるような方法を模索していた。ただ、「強姦してはならない」などと、とても勅語に書けないので、勅語ではなく戦陣訓という形で陸軍のみに発布した。
こういう背景があるから、、って自ら書いてるじゃないの(笑)
軍規 軍律が戦陣訓を規定したから、、瞬時に収まるモノではないって事くらい解りそうなモンだがね、、規律違反が敗戦まで続いたってことじゃないの、、食糧の配給 すら無いんだから、、当然だろう、、軍規 軍律 戦陣訓 の前の 問題だよ(笑)
軍規 軍律 戦陣訓を規則正しく守って 餓死するか? 泥棒やりながら、生き延びても最後は餓死したんじゃないのかい(笑)
>戦陣訓の捏造
ひめゆり部隊など学徒、沖縄の民間自衛団を指導したのは教職員である。
つまり、「生きて虜囚の辱を受けず」を民間に戦陣訓の全てだと叩き込んだのは、民間防衛を指揮した教職員達であり軍ではない。
教職員が軍の威光を捏造し学徒や民間人を自決に追い込んでいた事を全て、軍と戦陣訓の責任になすり付け、在郷軍人会などで民間防衛の指導をした自分達の罪過の非難を「教え子を戦場に送るな」(日教組)とかわした。
戦前 戦中の公立私立の学校には日本軍の教務仕官が常駐してたんだけどね。
教職員に思想的自由があったとでも 言いたいようですね(笑)
国民学校令、それまでの小学校令を廃して1941年(昭和16年)に発布された勅令(昭和16年勅令第148号)
義務教育の年数が8年(初等科6年・高等科2年)に延長され、名称も国民学校初等科、高等科と改められた。
国民学校の目的は、「国民学校ハ皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為ス」ことであった(国民学校令第1条)。
国民学校とは、戦前・戦中の日本に設けられ、初等教育と前期中等教育を行っていた学校のことである。ナチス・ドイツの初等教育に起源をもつ。
1941年(昭和16年)の国民学校令(昭和16年勅令第148号)に基づいて作られ、学校教育法(昭和22年法律第26号)に基づく新制の小学校にとって変わられるまで存在した。国民学校は、6年の初等科と2年の高等科からなり、初等科は、それまでの尋常小学校などを母体とし、高等科はそれまでの高等小学校などを母体としていた。国民学校令の施行とともに、それまでの尋常小学校、高等小学校、尋常高等小学校は、すべて国民学校とされた。
国民学校令においては、それまで6年間だった義務教育を8年間に延長する規定が設けられたが、施行が延期され、国民学校令による義務教育期間の延長は行われなかった。義務教育期間の延長は、第二次世界大戦降伏後の学校教育法の施行によって行われている(6年間から9年間へ)。
国民学校は、こどもが鍛錬をする場と位置づけられ、国に対する奉仕の心を持った「少国民」の育成がめざされていたともいわれている
少国民(しょうこくみん)とは、戦争体制において、銃後の守りと位置付けられた子どもを指す。日本語の「少国民」という語はヒトラーユーゲントで用いられた「Jungvolk」の訳語である。特に、第2次世界大戦時期の日本におけるそれを指すことが多い。
小学校(1941年-1947年までの日本では国民学校)教育で、基礎的な軍事訓練を受ける他、前線兵士への慰労など、戦争に親近感を抱かせる教育が行われる。乗り物図鑑には、必ず戦車(タンク)を登場させる
と言うことだそうですよ、、政府の政策で行っていたのですけどね。
>兵士の士気は落ち、ろくな軍教育も受けず徴兵された兵士も多くなり放火、略奪、婦女暴行といった軍法会議犯罪者が続出した。軍紀建て直しの必要性を感じた陸軍は、「盗むな」「殺すな」「犯すな」を徹底させ、規律ある軍人となるような方法を模索していた。ただ、「強姦してはならない」などと、とても勅語に書けないので、勅語ではなく戦陣訓という形で陸軍のみに発布した。
こういう背景があるから、、って自ら書いてるじゃないの(笑)
軍規 軍律が戦陣訓を規定したから、、瞬時に収まるモノではないって事くらい解りそうなモンだがね、、規律違反が敗戦まで続いたってことじゃないの、、食糧の配給 すら無いんだから、、当然だろう、、軍規 軍律 戦陣訓 の前の 問題だよ(笑)
軍規 軍律 戦陣訓を規則正しく守って 餓死するか? 泥棒やりながら、生き延びても最後は餓死したんじゃないのかい(笑)
>戦陣訓の捏造
ひめゆり部隊など学徒、沖縄の民間自衛団を指導したのは教職員である。
つまり、「生きて虜囚の辱を受けず」を民間に戦陣訓の全てだと叩き込んだのは、民間防衛を指揮した教職員達であり軍ではない。
教職員が軍の威光を捏造し学徒や民間人を自決に追い込んでいた事を全て、軍と戦陣訓の責任になすり付け、在郷軍人会などで民間防衛の指導をした自分達の罪過の非難を「教え子を戦場に送るな」(日教組)とかわした。
戦前 戦中の公立私立の学校には日本軍の教務仕官が常駐してたんだけどね。
教職員に思想的自由があったとでも 言いたいようですね(笑)
国民学校令、それまでの小学校令を廃して1941年(昭和16年)に発布された勅令(昭和16年勅令第148号)
義務教育の年数が8年(初等科6年・高等科2年)に延長され、名称も国民学校初等科、高等科と改められた。
国民学校の目的は、「国民学校ハ皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為ス」ことであった(国民学校令第1条)。
国民学校とは、戦前・戦中の日本に設けられ、初等教育と前期中等教育を行っていた学校のことである。ナチス・ドイツの初等教育に起源をもつ。
1941年(昭和16年)の国民学校令(昭和16年勅令第148号)に基づいて作られ、学校教育法(昭和22年法律第26号)に基づく新制の小学校にとって変わられるまで存在した。国民学校は、6年の初等科と2年の高等科からなり、初等科は、それまでの尋常小学校などを母体とし、高等科はそれまでの高等小学校などを母体としていた。国民学校令の施行とともに、それまでの尋常小学校、高等小学校、尋常高等小学校は、すべて国民学校とされた。
国民学校令においては、それまで6年間だった義務教育を8年間に延長する規定が設けられたが、施行が延期され、国民学校令による義務教育期間の延長は行われなかった。義務教育期間の延長は、第二次世界大戦降伏後の学校教育法の施行によって行われている(6年間から9年間へ)。
国民学校は、こどもが鍛錬をする場と位置づけられ、国に対する奉仕の心を持った「少国民」の育成がめざされていたともいわれている
少国民(しょうこくみん)とは、戦争体制において、銃後の守りと位置付けられた子どもを指す。日本語の「少国民」という語はヒトラーユーゲントで用いられた「Jungvolk」の訳語である。特に、第2次世界大戦時期の日本におけるそれを指すことが多い。
小学校(1941年-1947年までの日本では国民学校)教育で、基礎的な軍事訓練を受ける他、前線兵士への慰労など、戦争に親近感を抱かせる教育が行われる。乗り物図鑑には、必ず戦車(タンク)を登場させる
と言うことだそうですよ、、政府の政策で行っていたのですけどね。
これは メッセージ 16843 (rty3657898 さん)への返信です.