南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 無知大馬鹿yominokuni56(笑)

投稿者: rty3657898 投稿日時: 2007/03/02 20:48 投稿番号: [16760 / 41162]
陸奥南部藩士東條英教は奥羽戦争の賊軍指導者として捕虜生活を送っていたが、1877年西南戦争が起こると助命され従軍する。その後、陸軍大学校第一期生首席で卒業。明治天皇から恩賜の軍刀を賜った。
「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。」
賊軍と言う恥の中で生き虜囚の辱ねでも幕臣の誇りを捨てず、南部武士の郷党家門の面目を保ち、南部の罪禍の汚名を払ったのである。
賊軍出身者として歩兵第三旅団長陸軍中将まで昇りつめるが、
日露戦争時に師団長川村景明(薩摩)に夜襲を命じられた。英教は部下に多数死傷者が出る玉砕戦法を拒否する。兼ねてから藩閥の弊害を抗議し、山県有朋(長州)の怒りを買っていた英教は更迭される。
英教は自身の挫折した夢を息子に託した。英機を一流軍人としての心構えを説いて聞かせた。その中には南部がかって占領軍の略奪や婦女子が強姦された教訓から軍規の厳格さ、捕虜や占領地住民の保護などの他に薩長閥の陸軍批判もあった、1912年息子は見事父の期待に応え陸軍大学校に入学し父と同じ主席で卒業を果たす。東條英機である。
息子、英機は父に対する薩長の理不尽な仕打ちや、薩長中心の政治・軍事に怒りを感じ、以後、薩長閥退治に情熱を燃やすようになる。
政治家としての評価は低い東條も軍事官僚としては抜群であった。強姦、略奪禁止などの軍規・風紀遵守に厳しく、違反した兵士は容赦なく軍法会議にかけた。逆に軍人を取締る憲兵を多く用い軍規違反者を厳しく取締った事が軍内部の恐怖政治を言われる様になる。
1944年6月15日〜7月9日にサイパン島の戦闘が起こる。7月6日陸軍斎藤義次中将、海軍南雲司令長官ら指揮官だけが責任を取る形で多くの将兵を残し自決してしまう。指揮者に自決を禁止された将兵約3,000名の日本は翌7日、「万歳突撃」を敢行する。自決を禁止されて選んだ「万歳突撃」であるので手足を撃たれ捕虜になった者も多数出る。
軍人が居なくなり、困惑した多くの民間人がバンザイクリフやスーサイドクリフから海に飛び込み自決した。つまり民間人が自決した時には軍人は居なかった。日本人最初の玉砕となった。サイパン玉砕の責任は東條英機にも波及し、東條はサイパン玉砕の責任の責め負われ岸信介(長州)らに更迭される。
しかし、東條更迭後、サイパン玉砕は美談として民間に持て囃され、教職員の民間指導者は戦陣訓の一文の捏造と供に教え子を戦場に送り出した。
「教え子を二度と戦場に送るな」と日教組のスローガンであるが、その一度送った時の捏造責任を日教組は総括せず、全て軍の責任に押し付けた。
戦時中の教職員の責任を不問にしている。
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