第一次上海事変の経緯
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2007/02/15 02:16 投稿番号: [16390 / 41162]
1.1月18日、日蓮宗の2僧及び3人の信者が中国人経営のタオル工場「三友実業社」前で同社の職工百余人から投石・暴行を受け、3名が重傷、1名が数日後死亡。
2.日本人居留民「上海青年同志会員」32名が「三友実業社」に対し抗議を行うも、激昂の余り同社に放火、駆けつけた中国人警官2名を殺害し、2名に重傷を負わせる。但し、日本人も1名が射殺されている。
この不法行為を働いた日本人首謀者は総領事館に自首し、首謀者は長崎地裁で懲役1年6ヶ月の判決を受けている。
3.国民党系新聞が「上海青年同志会員」の暴行を日本軍の使嗾によるものと報道。
日本軍はこれに抗議。
租界当局はこの新聞社を租界の秩序を乱したとの理由で強制閉鎖。
4.1月21日、日本総領事が上海市長に対し、日蓮宗僧侶暴行事件に対する謝罪と加害者の逮捕処罰等を要求。
また居留民に対し、不法行為は日本の国法で処罰される旨警告。
5.事態収拾のため、海軍が巡洋艦、駆逐艦、航空母艦を上海へ増派。
上海の海軍司令官塩沢少将は日本総領事が上海市長に要求した謝罪等の対処を強硬に要求する声明を発するとともに、1月22日、急進派居留民と会談。急進派は示威活動を停止する旨を声明。
6.1月28日朝、日本総領事館に爆弾が投げ込まれる。
7.1月28日午後3時、上海市長は日本総領事の要求を受諾。
8.塩沢司令官、上海に布陣する中国軍の撤退を要求。
9.1月28日午後4時、租界当局が戒厳令を宣布。
上海駐屯の各国軍が担当警備地区に配備開始。
10.日本海軍陸戦隊が日本軍担当地区に配備を開始したところ、便衣隊の狙撃を皮切りに、中国軍より機関銃の猛射を受け、自衛のため反撃。
(信夫淳平著『上海戦と国際法』及び戦史叢書を参照)
これが第一次上海事変の始まり。
日蓮宗僧侶暴行事件を兵力増派の口実になどしていない。増派が決定されたのは、日本人居留民が暴発してからだ。
そんなものを口実にしなくても、日本軍は上海に駐留する権利を有していたし、日本軍は寧ろ、日本人居留民がこれ以上暴発しないよう抑えていた。
どんな憶測・曲解を並べようと、日本が布陣したのは日本軍が担当することが予め認められていた地区であり、第一次上海事変で先に攻撃を仕掛けてきたのは中国軍だ。
また、一部で垂れ流されている、日蓮宗僧侶暴行事件が日本軍の陰謀によるものだ、等という妄説には全く根拠がない。
これは メッセージ 16356 (yominokuni56 さん)への返信です.
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