南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 南京攻略への経緯・食糧も備蓄も有った

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/02/14 02:05 投稿番号: [16352 / 41162]
>この時は蒋介石の精鋭部隊に押し返され、すごすごと日本国内に撤退してるが、、第二次上海暴動も同じ様な経緯をたどってるじゃないかい、、



【第二次上海事変】


日本は、通州で日本人居留民約260人が大虐殺されてから10日も経っていないのに、支那へ和平の話を持ちかけた。
しかも、その条件は信じられないほど大幅に譲歩したものだった。

この時の日本側の和平案は以下のとおり。
――――――――――
(日本の和平案)
・塘沽協定の解消
・梅津−何應欽協定の解消
・土肥原−秦徳純協定の解消
・冀察政権の解消
・冀東特殊貿易の廃止
・非武装地帯海面の中国側密輸取締りの恢復
・華北における自由飛行の廃止
・支那側が要求すれば上海停戦協定をも解消
――――――――――
日本が如何に戦争をやめたがっていたかは、この大幅に譲歩した和平案を見れば明白である。

ところが、8月9日に予定されていた和平会談は、当日、支那が海軍陸戦隊の大山中尉を上海の虹橋飛行場近くで惨殺してぶち壊した。
日本側は支那に抗議したが、日本に責任をなすりつけて取り合わなかった。
大山中尉と運転手の斉藤水兵の車は機関銃で蜂の巣にされ、中尉は車から引きずり出され、銃剣で胸を刺され、かつ大刀で頭を割られていた。

大山中尉惨殺事件と、その後の支那側の態度に危険を感じた海軍は、警備のために陸軍の応援を要請したが、参謀本部の石原完爾少将は「上海に陸軍を出すと戦火が拡大するので出せない」と断った。

仕方がないので海軍は、陸戦隊を1,200名程増派したが、追加の陸戦隊が上海に着いた8月11日には、既に日本人居留区は保安隊に包囲されており、その夜のうちに支那軍は上海付近の鉄道の民間使用を禁じて軍用に切り換えて上海に12万の大軍を送り込んだ。
当時、上海にいたのは海軍陸戦隊4,000名のみで、とても支那の大軍を相手に出来なかったため、海軍は改めて陸軍の派遣を要請した。
緊迫した情勢の中、13日、政府はやっと陸軍の派遣を決めたが、これから準備するために到着するのに約20日は掛かる。
したがって、海軍陸戦隊には、「絶対に先に手を出すな」と指令したが、この日に支那軍は上海への攻撃を開始した。
翌14日には支那軍が上海市街を爆撃し、キャセイホテルやパレスホテルにも落ち、支那人や外国人に大量の死傷者を出した。
あまりの暴虐さに日本政府は「暴支膺懲」を宣言し、海軍は台風の中、日本から直接爆撃機を飛ばして支那軍の飛行場や前線基地を叩き、日本人の命を永らえさせた。
これが世に言う『渡洋爆撃』。


8月9日、和平会談の予定だったが、海軍陸戦隊の大山中尉が惨殺される。
8月12日、蒋介石軍が上海の国際租界の日本人居留地区を包囲
8月13日、蒋介石軍が攻撃開始
8月14日、支那軍が上海市街のホテルなどを爆撃。この爆撃を日本軍の仕業と世界中に宣伝。
8月23日、支那軍が上海のデパートを爆撃。この爆撃も日本軍の仕業と世界中に宣伝。

8月〜11月、【上海戦】(支那事変最大の激戦)。
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