南京攻略への経緯・食糧も備蓄も有った
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/02/12 18:37 投稿番号: [16328 / 41162]
>上海派遣軍がなぜ、、作戦も計画も無かった南京攻略をしたのか?
>それを まず 説明する必要があるんじゃないかい?
多大の犠牲者を出した上海戦がようやく終わった11月にも、日本は支那に対して穏当な和平案を提出したが、それを無視して戦線を南京に拡大したのも支那だった。
11月2日、広田外相が正式にドイツ大使に仲介を依頼し、提示した日本側の条件は、
――――――
・内蒙古民族は自治政府を樹立する。その国際的地位は外蒙に同じ。
・満州国国境に非武装地帯を設定し、中国警察が治安維持にあたる。北支の全権は南京政府の手に存する。事変前から交渉中の鉱物採掘権については日本に満足のいく結果を求める。
・上海は非武装地帯を拡大し国際警察を設けて管理する。
・抗日政策の停止。
・共同して防共に努める。
・関税の引き下げ。
・外国の諸権利を尊重する。
・日本側は、この条件に従って7月7日以前の状況にまで軍を退く。
―――――
というものだった。
この内容を、ディルクセン駐日独大使は「穏当なもの、これなら支那側の面子も潰れないだろう」と述べた。
後に、支那の白崇禧将軍も「たったこれだけの条件なら、なんのための戦争か」と言ったくらいの条件だった。
11月6日、トラウトマン駐支ドイツ大使が日本の和平案を伝えるが、蒋介石はこれを蹴った。
蒋介石は、国連に「日本が侵略している」と訴え、これが9カ国会議に付託され審議されていたので、いい結果が出るのを期待していた。
支那は自分の方から戦争を仕掛けておきながら、「悪いのは日本だ」と国際社会に訴えた訳だ。
2005年春、反日デモをさせておいて、「悪いのは日本だ」と言ったり、呉儀副首相が小泉首相との会談をドタキャンして、「悪いのは日本だ」と言い放つ支那は、昔も今も全く変わっていない。
日本は、戦争をやめたくても支那がやめない限りやめられない。
一方的に停戦したとしても、支那が態勢を建て直して襲撃してくるのは経験済みだからだ。
蒋介石は、「敵が南京に至れば我々は南京を防衛する。敵が四川を攻撃すれば我々は四川を防衛する。敵の侵略が続く限り我々は永久に戦い続けるであろう」と世界に向かって公言した。
これではまるで日本が侵略しているかのようだ。
そして11月20日の「遷都宣言」でも次の様に言った。
「盧溝橋事件発生以来…日本の侵略は止まる事を知らず…各地の将士は奮って国難に赴き…死すとも退かず…日本は更に暴威を揮い…わが首都に迫る…およそ血気ある者で瓦全より玉砕を欲せざる者はない。…」
日本は「戦争を止めよう」と言ってるのに対し、蒋介石はそれを拒否しながら、こんな事を言ってた訳だ。
11月20日、第10軍から参謀本部に、「集団は19日朝、全力をもって南京に向かってする迫撃を命令」という報告が届けられた(11.19日発電)。対する蒋介石は重慶への「遷都宣言」
12月1日、「大本営」は、南京攻略を正式に発令。
12月8日、南京防衛軍司令官の唐生智は、市が戦闘地区に入ったと宣言し「すべての非戦闘員は国際管理下の安全地帯に集結しなければならない」と布告
12月10日、唐生智は、日本軍の降伏勧告を拒否し、「本軍は…、南京固守最後の戦闘に突入した。各部隊は陣地と存亡をともにする決心で死守せよ」と下命
12月12日、唐生智が夕方南京を脱出・逃亡。その夜に戦闘が始まる
12月13日、日本軍が南京を占領
南京占領後、日本はまたもや和平を持ちかけた。
和平案は、以前日本が提出した異常なまでに譲歩した条件と比べれば、日本国民が納得するようにと多少戦勝国らしい体裁を繕ったが、領土などの要求はしなかった。
●1938年
1月2日、ドイツ大使トラウトマンが日本の和平案の返事を聞くために蒋介石を訪問しようとしたが、蒋介石は会わず
1月15日、日本の和平案を蒋介石が蹴る
>食糧の備蓄も無く、3ヶ月間 道路周辺の民家 農家を襲撃しながら、南京までの500KMを戦いながら 進軍した理由ってのはなんだったんだ(笑)
南京虐殺は嘘40 食糧の補給と調達 (食糧現地調達による虐殺も嘘っぱちのでっち上げ)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/8913842.html
南京虐殺は嘘67・支那軍による虐殺7・南京郊外・農村部での食糧掠奪と殺害
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/11417341.html
>それを まず 説明する必要があるんじゃないかい?
多大の犠牲者を出した上海戦がようやく終わった11月にも、日本は支那に対して穏当な和平案を提出したが、それを無視して戦線を南京に拡大したのも支那だった。
11月2日、広田外相が正式にドイツ大使に仲介を依頼し、提示した日本側の条件は、
――――――
・内蒙古民族は自治政府を樹立する。その国際的地位は外蒙に同じ。
・満州国国境に非武装地帯を設定し、中国警察が治安維持にあたる。北支の全権は南京政府の手に存する。事変前から交渉中の鉱物採掘権については日本に満足のいく結果を求める。
・上海は非武装地帯を拡大し国際警察を設けて管理する。
・抗日政策の停止。
・共同して防共に努める。
・関税の引き下げ。
・外国の諸権利を尊重する。
・日本側は、この条件に従って7月7日以前の状況にまで軍を退く。
―――――
というものだった。
この内容を、ディルクセン駐日独大使は「穏当なもの、これなら支那側の面子も潰れないだろう」と述べた。
後に、支那の白崇禧将軍も「たったこれだけの条件なら、なんのための戦争か」と言ったくらいの条件だった。
11月6日、トラウトマン駐支ドイツ大使が日本の和平案を伝えるが、蒋介石はこれを蹴った。
蒋介石は、国連に「日本が侵略している」と訴え、これが9カ国会議に付託され審議されていたので、いい結果が出るのを期待していた。
支那は自分の方から戦争を仕掛けておきながら、「悪いのは日本だ」と国際社会に訴えた訳だ。
2005年春、反日デモをさせておいて、「悪いのは日本だ」と言ったり、呉儀副首相が小泉首相との会談をドタキャンして、「悪いのは日本だ」と言い放つ支那は、昔も今も全く変わっていない。
日本は、戦争をやめたくても支那がやめない限りやめられない。
一方的に停戦したとしても、支那が態勢を建て直して襲撃してくるのは経験済みだからだ。
蒋介石は、「敵が南京に至れば我々は南京を防衛する。敵が四川を攻撃すれば我々は四川を防衛する。敵の侵略が続く限り我々は永久に戦い続けるであろう」と世界に向かって公言した。
これではまるで日本が侵略しているかのようだ。
そして11月20日の「遷都宣言」でも次の様に言った。
「盧溝橋事件発生以来…日本の侵略は止まる事を知らず…各地の将士は奮って国難に赴き…死すとも退かず…日本は更に暴威を揮い…わが首都に迫る…およそ血気ある者で瓦全より玉砕を欲せざる者はない。…」
日本は「戦争を止めよう」と言ってるのに対し、蒋介石はそれを拒否しながら、こんな事を言ってた訳だ。
11月20日、第10軍から参謀本部に、「集団は19日朝、全力をもって南京に向かってする迫撃を命令」という報告が届けられた(11.19日発電)。対する蒋介石は重慶への「遷都宣言」
12月1日、「大本営」は、南京攻略を正式に発令。
12月8日、南京防衛軍司令官の唐生智は、市が戦闘地区に入ったと宣言し「すべての非戦闘員は国際管理下の安全地帯に集結しなければならない」と布告
12月10日、唐生智は、日本軍の降伏勧告を拒否し、「本軍は…、南京固守最後の戦闘に突入した。各部隊は陣地と存亡をともにする決心で死守せよ」と下命
12月12日、唐生智が夕方南京を脱出・逃亡。その夜に戦闘が始まる
12月13日、日本軍が南京を占領
南京占領後、日本はまたもや和平を持ちかけた。
和平案は、以前日本が提出した異常なまでに譲歩した条件と比べれば、日本国民が納得するようにと多少戦勝国らしい体裁を繕ったが、領土などの要求はしなかった。
●1938年
1月2日、ドイツ大使トラウトマンが日本の和平案の返事を聞くために蒋介石を訪問しようとしたが、蒋介石は会わず
1月15日、日本の和平案を蒋介石が蹴る
>食糧の備蓄も無く、3ヶ月間 道路周辺の民家 農家を襲撃しながら、南京までの500KMを戦いながら 進軍した理由ってのはなんだったんだ(笑)
南京虐殺は嘘40 食糧の補給と調達 (食糧現地調達による虐殺も嘘っぱちのでっち上げ)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/8913842.html
南京虐殺は嘘67・支那軍による虐殺7・南京郊外・農村部での食糧掠奪と殺害
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/11417341.html
これは メッセージ 16265 (yominokuni56 さん)への返信です.