Re: 米7バカ議員が追軍売春婦決議案を提出
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/02/03 00:43 投稿番号: [16160 / 41162]
>>言うか、このアメリカの馬鹿議員どもは、戦後GHQが日本に対して、「宿舎を造って、占領軍の兵隊のために、"女性"を集めろ」と命令したことを知らないのだろうか?!
>それはチャウよ(笑)
>敗戦後 日本政府が 占領軍に 慰安婦を差し出したってのが本当の話だよ(笑)
>湘南の小涌園 ってホテルが今もあるだろう(?)
>当時の予算で5億円の巨費をもって アメリカ軍専用の慰安所を設け、全国各地から、売春婦を集め、日本国政府が経営したんだよ(笑)
本当かどうかも知らないが、仮にそうだとして、だから何なんだ?
―――――――
1994/09/17, 産経新聞
【正論】
地域改善啓発センター理事長・磯村英一
日本軍だけでない慰安婦問題
◆命令された娯楽施設の怪
(一部抜粋)
直接その問題にはかかわりがない私が、発言をするのは、この慰安婦の問題は、決して日本の軍隊だけでなかったという事実を、私自身が経験しているからである。
日本の終戦直後、私は東京都の渉外部長で、占領軍司令部の命令に、"サービス"を提供する役割を課された。戦勝者の命令は絶対である。僅か一、二週間の間に占領軍の兵隊のためにワシントン・ハイツ等という名の宿舎の建設が命令され、将校たちのためには、洋式のトイレの住宅を接収し、提供した。
敗戦の年のクリスマス、司令部の将校から呼ばれて"ヨシワラ"の状態の報告を命ぜられた。もちろん、その地区は焦土と化していた。命令は宿舎を造って、占領軍の兵隊のために、"女性"を集めろということだった。
命令は英語で"レクリエーション・センター"の設置である。最初は室内運動場の整備だと思ったが、そうではない。旧"ヨシワラ"のそれであった。
敗戦直後の東京の行政は、女・子供はできるだけ地方に分散するようにという命令が出され、占領軍の兵隊のための宿舎をつくる労力さえも不足の状態だった。しかも外国の兵隊は、鬼畜とさえ教えたのを、改めてそのようなサービスを提供するなどできるものではなかった。
しかし、市民の中には、食べ物も少なく、中にはチョコレート一個で身体を売るような話まで広がっている。やむを得ず焼け残った"地区"の人々に、文字通り、食料を支給すると約束してバラック建ての"サービス・センター"に来てもらった。その理由として、日本の"一般の女性の操"を守るためにといって頭を下げた。こんな犠牲を強いた私自身が"人権"などという言葉を口になど出せるものではないと反省している。
◆「昔の恥を」と詰問される
やむを得ず関係している業者に直接話して、"お国のため"という言葉を使ったことを覚えている。もし仮にいわゆる"慰安婦"問題に関して国連の舞台で、日本政府が外国人の慰安婦に何らかの措置をとる場合、そのような言葉を使ってサービスを求めたことはどうなるのか。この一文を書くために、その当時、私の命令―事実は勝者の強制を背後にして―によって、サービスをしたと思われる人を訪れたが、"昔の恥を思い出させるのか"という返事に返す言葉がなかった。正直にいって、敗戦の中で女性をそのような環境に追いやったことに、返す言葉をもたない。
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>それはチャウよ(笑)
>敗戦後 日本政府が 占領軍に 慰安婦を差し出したってのが本当の話だよ(笑)
>湘南の小涌園 ってホテルが今もあるだろう(?)
>当時の予算で5億円の巨費をもって アメリカ軍専用の慰安所を設け、全国各地から、売春婦を集め、日本国政府が経営したんだよ(笑)
本当かどうかも知らないが、仮にそうだとして、だから何なんだ?
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1994/09/17, 産経新聞
【正論】
地域改善啓発センター理事長・磯村英一
日本軍だけでない慰安婦問題
◆命令された娯楽施設の怪
(一部抜粋)
直接その問題にはかかわりがない私が、発言をするのは、この慰安婦の問題は、決して日本の軍隊だけでなかったという事実を、私自身が経験しているからである。
日本の終戦直後、私は東京都の渉外部長で、占領軍司令部の命令に、"サービス"を提供する役割を課された。戦勝者の命令は絶対である。僅か一、二週間の間に占領軍の兵隊のためにワシントン・ハイツ等という名の宿舎の建設が命令され、将校たちのためには、洋式のトイレの住宅を接収し、提供した。
敗戦の年のクリスマス、司令部の将校から呼ばれて"ヨシワラ"の状態の報告を命ぜられた。もちろん、その地区は焦土と化していた。命令は宿舎を造って、占領軍の兵隊のために、"女性"を集めろということだった。
命令は英語で"レクリエーション・センター"の設置である。最初は室内運動場の整備だと思ったが、そうではない。旧"ヨシワラ"のそれであった。
敗戦直後の東京の行政は、女・子供はできるだけ地方に分散するようにという命令が出され、占領軍の兵隊のための宿舎をつくる労力さえも不足の状態だった。しかも外国の兵隊は、鬼畜とさえ教えたのを、改めてそのようなサービスを提供するなどできるものではなかった。
しかし、市民の中には、食べ物も少なく、中にはチョコレート一個で身体を売るような話まで広がっている。やむを得ず焼け残った"地区"の人々に、文字通り、食料を支給すると約束してバラック建ての"サービス・センター"に来てもらった。その理由として、日本の"一般の女性の操"を守るためにといって頭を下げた。こんな犠牲を強いた私自身が"人権"などという言葉を口になど出せるものではないと反省している。
◆「昔の恥を」と詰問される
やむを得ず関係している業者に直接話して、"お国のため"という言葉を使ったことを覚えている。もし仮にいわゆる"慰安婦"問題に関して国連の舞台で、日本政府が外国人の慰安婦に何らかの措置をとる場合、そのような言葉を使ってサービスを求めたことはどうなるのか。この一文を書くために、その当時、私の命令―事実は勝者の強制を背後にして―によって、サービスをしたと思われる人を訪れたが、"昔の恥を思い出させるのか"という返事に返す言葉がなかった。正直にいって、敗戦の中で女性をそのような環境に追いやったことに、返す言葉をもたない。
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これは メッセージ 16137 (yominokuni56 さん)への返信です.