ベトナム餓死200万の責任は日本軍政府
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2007/01/06 07:09 投稿番号: [15873 / 41162]
>『素朴な疑問がある。日本軍がベトナムを支配したのは昭和二十年三月、クーデターを起こして仏植民地軍を追っ払ってから終戦までの五カ月間。どうやればそんな短期間に二百万人を餓死させられたのか。』
昭和20年=1945年だぜ、、日本軍がランソン村を急襲しフランスを追いつめたのが1940年の9月だよ(笑)
1. 日仏二重搾取下のインドシナ人民
フランスの実質的な対日降伏とインドシナ人民搾取の為の対日結託
フランスはランソンで日本に降伏して(1940年9月)から明らかに勢力が衰えた。日本はインドシナを植民地化し戦争の基地とするために引き続き地歩を固めた。(ランソン事件=日本軍が突然仏印の北部に侵攻した場所フランス兵300人を殺害したとされる)
1941年7月23日ドゥクー総督は日本と「日本・仏印共同防衛協定」と呼ばれる屈服協定を結びインドシナ全土にわたる日本軍の駐留権を認めた。(この協定により日本軍は南部仏印に進駐した)
1941年7月29日ペタン政府は直接日本と協定を結びインドシナのあらゆる空港と港の軍事目的利用を日本に認めた。(仏印共同防衛議定書)
日本は太平洋戦争を起こすとドゥクー総督にもう一つの協定を強要し以下の点について日本への全面協力を約束させた。つまり、日本軍の行軍を容易ならしめるよう協力すること、日本に食糧を供出し兵舎を建設すること、日本軍の後方基地として安全を保証するためにインドシナ社会の秩序を維持すること、などである。
それ以来、敵国日本とフランスは緊密に結託してインドシナ人民を搾取した。
日本資本主義の企業は日増しにインドシナへの投資を増大させ、商業や工業の多くの分野で活動した。インドシナ産業会社や大南公司などである。
1940年から43年の間に、日本企業の行った投資額は約1億1100万フランにのぼり、フランス企業のインドシナ総投資額の6分の1に達した。
米やトウモロコシなどの主食については、日本はフランス植民地政府に供出させた。
さらに、残酷非道にも日本は戦争に必要な原料を獲得する為に、田畑への麻やヒマの植付けを我が人民に強制した。
インドシナに足を踏み入れて以来、ファシスト日本のあらゆる経済活動は、直接的あるいはフランスを通じて間接的に略奪戦争を遂行する為、資源や食糧を出来る限り多く獲得することであった。
もう少し
勉強した方が良くないかい(笑)
これは メッセージ 15863 (kisikaisei2004 さん)への返信です.
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