疑問に思うこと?
投稿者: mudagane 投稿日時: 2003/04/14 20:39 投稿番号: [1557 / 41162]
南京虐殺事件について。
松井石根大将(東京裁判死刑判決
処刑)率いる上海派遣軍が、中国軍の激しい抵抗に苦戦をつづけて3ヶ月間で3万人の死傷者を出した、その後11月5日柳川平助中将の第十軍が上海の背面、杭州湾に上陸するや、中国軍は退却を始め、日本軍は上海派遣軍と第十軍をもって中支那方面軍を編成し、松井大将を司令官とし、方面軍司令官への参謀総長の指示で、「方面軍の作戦地域は概ね蘇州、嘉興を連ぬる線以東」と命じて、上海付近の三角地帯に作戦を限定した。が前線の部隊は勢いにのってこの線を突破し、南京に向かって進撃を始めた。方面軍も参謀本部もこれに追随し、不拡大論者であった多田駿(ただはやし)参謀次長は南京攻略を強く反対したが、前進をとめることは出来なかった。11月20日
日露戦争後初めて大本営が設置された、が統帥権の独立についての軍部の主張が強く首相や閣僚を大本営に加えることはなく、一元的な戦争指導機関とはなり得なかった、また、諸国内外では日本の戦争決意の明確化と受け止められた。
12月13日首都南京の陥落、南京の略奪、暴行、虐殺事件は上海での激戦が日本軍兵士の敵愾心を高めていたこと、この戦線に動員された兵士が年齢の高い召集兵を主とする特設師団で、軍規が厳正でなかったとされている。当時、陸軍は対ソ戦本位に動員を計画し、現役師団をなるべく控えに回し、特設師団を中国に送っていた、ということです。
虐殺数についてはエドガー、スノーによれば占領後捕虜の殺害5万人、上海、南京間で殺された非戦闘員が30万人であるとされている。**南京城内外での30万人殺害では無いようです。** tekunotekuna氏の投稿より。
>戦争の常識として少なくとも負傷者100万人が出ているはずである。
以後60数年、手をもがれ足を失った者が、いまだに30万人は生きている
証言者も山の様にいます。加害者、被害者を問わず。
>私から見ると、『 諸君 』は中庸の雑誌。
私からみれば十分右翼的です。執筆者を見ればそのような人達ばかりではありませんかね。
これは メッセージ 1555 (sapito さん)への返信です.
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