Re: 拉致とは、こういうことを言う…。
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/12/08 01:45 投稿番号: [14793 / 41162]
>朝鮮人強制連行とは、日本が侵略戦争を敢行するために国家総動員法に基づき1939年から実施された労務動員計画と国民動員計画により朝鮮本土からの連行、次いで国民徴用令により日本国内からの労務動員、さらには軍人・軍属・女子挺身隊・慰安婦としての戦時動員、これら全てを包括するものです。
強制連行はなかった。
徴用令は内地(日本)人や台湾人には1939年から終戦までの6年間適用したのに対し、朝鮮人に適用したのは1944年9月から1945年3月までのたった6ヶ月間だけ。
戦争が終わって60万人いた在朝鮮日本人はほぼ全員が日本に帰ってきた。
ところが、230万人の在日朝鮮人のうち60万人は自分の意志で日本に残った。
北海道の炭鉱や遠くの工場で働らかされた人数は日本人の方が遥かに多い。
命令で泣く泣く朝鮮に赴任して行った日本人の方が遥かに多い。
そのような多くの日本人を「強制連行」とは言わずに、わずかな朝鮮人だけを「強制連行」と呼ぶのはいかがなものか?
徴用令どころか日本人には徴兵令が多く出された。
1982・83年に在日本大韓民国青年会が全国約1100名の在日一世から直接聴取した渡日理由調査の結果。
徴兵・徴用13.3%、経済的理由39.6%、親族との同居17.3%、その他、等となっている。
尚、徴兵・徴用のうちの徴用で「自発的に来た」と回答した人を除いた数字は4.6%。
この4.6%すら本当かどうかは分からない。
ちなみに韓国の大学では在日の殆んどが被差別部落民の子孫だと教えているそうだ。
『岩波講座 世界歴史19 移動と移民』1999 岩波書店
1930年代後半、西日本で『密航』の取締りが厳しくなされ、毎年2000人から5000人ほどの密航者が摘発され(1939年は7400人)、大半が朝鮮に送還された。その多くはブローカーの斡旋で労働を目的に渡航した者であったが、なかには『内地人を仮称』して連絡船に乗り込んだため摘発された者もいる。
1944年に広島の軍需工場に徴用された鄭忠海氏は90年に日本で出版した手記(『朝鮮人徴用工の手記』河合出版)の中で、新築の寄宿舎で新しい寝具が準備され、食事も十分で満足でき、仕事は日本人女子挺身隊員といっしょであり、「女性たちとの恋だの愛だのということに心をうばわれているようで、工場内の風紀は言葉にならないほどだった」と書いている。
・在日朝鮮人(韓国人)についての補足
戦前は、一大畜産地・済州島で牛の疫病が発生して生活難に陥った島民が、当時存在した済阪航路に乗って大阪に大量流入し、その後全国に広がった。
大阪や東京では7割ぐらいを同島出身者が占めていた。戦後も在日ネットワークを頼って1970年頃まで韓国人の日本への密入国が続いた。
・米国公文書の秘密文書を調査したブルース・カミングス・シカゴ大学教授
朝鮮半島の南に浮かぶ火山島・済州島で1948年4月3日、米軍政下で南朝鮮での単独選挙に反対した島民が武装蜂起したことをきっかけに、軍、警察などによる一連の島民虐殺事件が起きた。
いわゆる「済州島4.3事件」のぼっ発である。
東アジア現代史最大の悲劇の1つといわれている「4.3」事件の際、「3万人から6万人の島民が虐殺され、4万人以上が日本に逃れたという」
『マッカーサー元帥のGHQは「在日」の韓国人・朝鮮人の"帰国(引揚げ)"に過剰なほどの支援をなした。
すべての希望者に帰国のための無料の船便を提供した。
日本の官僚に対して「全員帰国を達成せよ」と厳しく命じた。
つまり、現在の在日韓国人・朝鮮人とは、このとき、たとえ政治的に差別されようとも"外国人"として日本に残った方が経済的に有利であるとか、日本の方が相対的に好きとか、の自由意志を頑なに貫き、GHQの「好意」を断固拒絶したもの、およびその子供や孫たちである。
自ら"外国人"の値を選択したのが故の「在日」であり、その子孫である。
それなのに"外国人"として扱われることを「差別」と称するのは、詐欺そのものだろう。』
『歴史を偽造する韓国――韓国併合と搾取された日本』中川八洋著
強制連行はなかった。
徴用令は内地(日本)人や台湾人には1939年から終戦までの6年間適用したのに対し、朝鮮人に適用したのは1944年9月から1945年3月までのたった6ヶ月間だけ。
戦争が終わって60万人いた在朝鮮日本人はほぼ全員が日本に帰ってきた。
ところが、230万人の在日朝鮮人のうち60万人は自分の意志で日本に残った。
北海道の炭鉱や遠くの工場で働らかされた人数は日本人の方が遥かに多い。
命令で泣く泣く朝鮮に赴任して行った日本人の方が遥かに多い。
そのような多くの日本人を「強制連行」とは言わずに、わずかな朝鮮人だけを「強制連行」と呼ぶのはいかがなものか?
徴用令どころか日本人には徴兵令が多く出された。
1982・83年に在日本大韓民国青年会が全国約1100名の在日一世から直接聴取した渡日理由調査の結果。
徴兵・徴用13.3%、経済的理由39.6%、親族との同居17.3%、その他、等となっている。
尚、徴兵・徴用のうちの徴用で「自発的に来た」と回答した人を除いた数字は4.6%。
この4.6%すら本当かどうかは分からない。
ちなみに韓国の大学では在日の殆んどが被差別部落民の子孫だと教えているそうだ。
『岩波講座 世界歴史19 移動と移民』1999 岩波書店
1930年代後半、西日本で『密航』の取締りが厳しくなされ、毎年2000人から5000人ほどの密航者が摘発され(1939年は7400人)、大半が朝鮮に送還された。その多くはブローカーの斡旋で労働を目的に渡航した者であったが、なかには『内地人を仮称』して連絡船に乗り込んだため摘発された者もいる。
1944年に広島の軍需工場に徴用された鄭忠海氏は90年に日本で出版した手記(『朝鮮人徴用工の手記』河合出版)の中で、新築の寄宿舎で新しい寝具が準備され、食事も十分で満足でき、仕事は日本人女子挺身隊員といっしょであり、「女性たちとの恋だの愛だのということに心をうばわれているようで、工場内の風紀は言葉にならないほどだった」と書いている。
・在日朝鮮人(韓国人)についての補足
戦前は、一大畜産地・済州島で牛の疫病が発生して生活難に陥った島民が、当時存在した済阪航路に乗って大阪に大量流入し、その後全国に広がった。
大阪や東京では7割ぐらいを同島出身者が占めていた。戦後も在日ネットワークを頼って1970年頃まで韓国人の日本への密入国が続いた。
・米国公文書の秘密文書を調査したブルース・カミングス・シカゴ大学教授
朝鮮半島の南に浮かぶ火山島・済州島で1948年4月3日、米軍政下で南朝鮮での単独選挙に反対した島民が武装蜂起したことをきっかけに、軍、警察などによる一連の島民虐殺事件が起きた。
いわゆる「済州島4.3事件」のぼっ発である。
東アジア現代史最大の悲劇の1つといわれている「4.3」事件の際、「3万人から6万人の島民が虐殺され、4万人以上が日本に逃れたという」
『マッカーサー元帥のGHQは「在日」の韓国人・朝鮮人の"帰国(引揚げ)"に過剰なほどの支援をなした。
すべての希望者に帰国のための無料の船便を提供した。
日本の官僚に対して「全員帰国を達成せよ」と厳しく命じた。
つまり、現在の在日韓国人・朝鮮人とは、このとき、たとえ政治的に差別されようとも"外国人"として日本に残った方が経済的に有利であるとか、日本の方が相対的に好きとか、の自由意志を頑なに貫き、GHQの「好意」を断固拒絶したもの、およびその子供や孫たちである。
自ら"外国人"の値を選択したのが故の「在日」であり、その子孫である。
それなのに"外国人"として扱われることを「差別」と称するのは、詐欺そのものだろう。』
『歴史を偽造する韓国――韓国併合と搾取された日本』中川八洋著
これは メッセージ 14779 (kim_taek_joo さん)への返信です.