Re: 国ってややこしい?偕行社の証言2
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/10/27 00:08 投稿番号: [13680 / 41162]
>報道カメラマンが戦場で撮ったフィルムの写真数千枚の内、採用され、報道された写真が僅か
3枚であったと、驚いていた記事を読んだことがあるよ(笑)
紙面は限られているのだから当たり前だろ。
何を言いたいんだ?
その話で追加の宿題を出していたことを思い出した。
9月28日放送の『報道ステーション』で「支那事変当時の報道規制不許可写真約7万枚が朝日新聞大阪本社で見つかった」と報道をしたが、その報道では「上海事件時の日本軍の殺戮の現場写真が山ほどあった」(#12772#12775)なんて全く言っていなかったのに、何故そんなことが言えるのか説明しなさい。
>従軍カメラマンに自由に写真を撮ることを許し、その条件として陸海軍統制部が検閲するというお墨付きをあたえてるんだから、、こまっちゃうよね(笑)
何が困るんだ?
#13151でも述べたが、戦争の最中に検閲などを行なうのは世界中どこの国も同じだ。
#10066などを見ると、アメリカのマスコミ統制の方が、日本のマスコミ統制よりも、厳格だった。
ラルフ タウンゼントやK・カール・カワカミなどの親日的な言論人は、刑務所にぶち込まれた。
いったい、どっちが自由な民主主義だ?
>君ももう少し
想像力を働かす様でなければ、日本の大事には、役にたたないよ(笑)
君の妄想力には敵わないよ。
>一兵卒も将校も下士官も、軍服を脱いでしまえば、どうやって
判断するの?
尋問したんだろうが。
>ひとまとめに
全部
殺しちゃったんだよ(笑)
今朝も妄想力がたくましいようだな。
>日本軍が捕虜を収容しなかったのは明らかな事実だよ(笑)
>中国人捕虜、、聞いたことあるかい?
聞いたことあるよ。
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「捕虜1万5百」
『朝日新聞』昭和12年12月29日
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捕虜として収容されたのは原田兵次郎編『誉れの郷土部隊』(大和旭新聞社
P191〜194より)には生け捕りにされた捕虜総数1万2000と記す。
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なお、城内に収容された捕虜のその後については、『南京戦史』第六章第六節「南京付近に収容した捕虜の状況」に詳しいが、最初一万人程度の捕虜が収容され、翌昭和十三年一月六日に「三千六百七十人もいるそうだ」と第十六師団経理部の小原立一少尉の日記に記されている。約半数が昭和十二年末ころ上海に送られたものと見られ、残りが汪兆銘の南京政府軍に編入されたという事実はよく知られている。
『本当はこうだった南京事件』P387
板倉由明著
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これらを総合すると堯化門(仙鶴門鎮)付近の捕虜約七千二百名を中央刑務所(第一監獄所)に護送し収容したことはあきらかである。
『南京戦史』P324
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>アンタの書いてることは総て、憶測であり、なんら証明すべき事実が無いのが情けないことだよな(笑)
自分のことを俺に擦り付けるな。
これは メッセージ 13665 (yominokuni56 さん)への返信です.
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