南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

ここにその証明を記す(最後まで読め)

投稿者: ocerooto 投稿日時: 2003/01/26 11:07 投稿番号: [1313 / 41162]
南京大虐殺は
否定できます。(長くなりますが)このトピの無駄な議論を終わらせるためにも労を惜しまず書きます。まず「南京大虐殺がなかった」という証明をする必要はないことを述べます。

無罪を主張する側が「犯罪がなかった証明」をする必要はありません。裁判の常識です。その代わり、「南京大虐殺があった」という立証をくずせば十分なのです

次に、当時南京はどんな場所でどんな状態だったか?

南京
総面積35平方㌔
周囲を、高さ12メートル厚さ6-7メートルの城壁に囲まれた「城塞都市」

1937年日本軍の南京攻略戦を前に富裕階級は南京を脱出
蒋介石も南京放棄を決定政府機関は撤退

残っていたのは中国軍兵士と貧民だけ(重要)

南京の外は中国軍の「清野作戦」(わからなかったら自分で調べてくれ)で半径16㌔を焼き払ったので無人状態

南京に残った市民は南京中心に設定された「難民区」に殺到
地域を管理するために設置された「安全区委員会」も「われわれは安全区域に一般市民のほとんどすべてを集めた」と記しています。つまり南京城内外の非戦闘員はほとんどすべて安全区域内にいたのです。そしてその外には中国兵しかいなかった。
そして、「安全区域」に何人いたか?(最重要)安全区委員会委員長   ジョン・ラーベ   は南京入場式が行われた12月17日付   日本大使館にあてた手紙でこう書いてあります。「もし市内の日本兵の間でただちに秩序が回復されないなら20万の中国国民の多数に餓死者が出る事は避けられないでしょう」
ここで「あれ?」と思った人も多いはずです。日本が虐殺を行ったと語っているのはほかならぬラーベだからです。しかし、ラーベが残した資料で、「ヒトラーへの上申書」は二次資料、「ラーベの日記」はリライトされている上に編者も入っているので三次資料です。安全区委員会にとってもっとも重要なのは市民の食料の確保   何人分の食料が必要か正確に把握しなければならなかった。彼ら安全区委員会は何度も日本大使館に手紙を出し一貫して「20万」と記してます。つまり南京の非戦闘員は多く見積もっても20万だったということです。これらは南京陥落後にそこにいた当事者が記録した第一次資料です。(第一次資料とか二次資料とかはちゃんと定義されていて日本大使館に送られたこの文書は正に一級品の第一次資料です)
「ラーベの日記」や「ヒトラーへの上申書」のように胡散臭いものではありません。しかもここでもう30万という主張は崩れます。

さらに、約一ヵ月後の1938年1月14日付
文書でラーベはこう書いています

「当市の総人口は25万から30万だと思います」

なんと、一ヵ月後人口が増えている!!5万から10万人も増えている!!

三十万人殺されたのは虚構でも4万人ぐらいならあったという方や、6千人ぐらいと言う方もいる。しかしこれらは一括審理できます。なぜならたとえ千人単位でも虐殺があった場所に一ヶ月足らずで人口が5万人から十万人も増えるはずがないからです。南京は安全と言う情報が中国内で広まったのだと考えられます

さきほど記した通り、安全区域委員会は日本大使館に何回も文書を送っていますが、実は食料のことよりも、日本軍の犯罪の被害届けの方が多いのです。それらを集計すると
殺人事件25件   被害届け49件
これを「大虐殺」と呼ぶ人はいないでしょう。しかも、これらは「裏付けのない」伝聞情報でラーベ本人は一件も目撃していません。「ラーベの日記」の中でも直接殺人を見た記述は一つもありません。

そして、なにより、(日本の南京大虐殺を韓国のベトナム戦争の暴行を一緒にする馬鹿のおかげわかりました)ベトナム戦争で韓国軍は5千人とも3万人とも言われる混血児を残したが、レイプ2-8万人と言われる南京で、日中混血児が発見されないことが何よりの証拠ともいえます。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)