やっぱり正当化していますか・・・
投稿者: b598056 投稿日時: 2003/01/18 14:35 投稿番号: [1294 / 41162]
b598056>「今現在でさえ民族間の紛争などで虐殺が絶えないのに当時の日本軍が中国軍兵士・ゲリラ兵・民間人を区別していたとはとても思えないので・・・」
> すごい発言だなぁと思う。現在の虐殺は貴方がその正当性を認めているような気がしますね。君の論理で言えば現在には虐殺してもいいと思いますか。
> どんな時代でも虐殺、特に罪のない人々を虐殺することは絶対許せない。こんなことは中国の先生から教えてくれましたが、日本人の先生が教えませんか。
そう認識されてしまうのならそうなのかもしれません。
たしかに、戦後の日本の学校でも「人殺しをしてはいけない(罪のあるなしを問わず)」ということは教えていますが、子供に「なぜ、人殺しをしていけないの?」という問いに明確な答えを出せていないのだと思います。「殺された人の肉親が悲しむから」とか「逮捕されるから」などの理由では説明しきれない矛盾があります。
それでも小さい頃からの教育によって殺人に対する恐怖が植えつけられるのだと思います。この恐怖こそが倫理観という虐殺行為を防ぐための最後の砦なのでしょうが・・・
問題なのは紛争国でそういう教育がなされていることではないでしょうか。民族紛争や宗教紛争はとにかく相手に対して残虐になりやすい、それは敵国人を悪魔と呼び人殺しを聖戦或いは正義と呼ぶような教育がなされているのではないでしょうか。
倫理の砦は一見強固に見えてその実は意外と脆いのだと思います。(自分自身で殺人が悪だという理論が確立していない場合は特に)
殺人に対する恐怖は殺人をするごとに弱まっていくでしょう。逆に自分自身の中で正当化する理由を作り上げていくでしょう。「上官に命令されたから」・「やらなきゃやられるから」・「天皇陛下のために」などの理由付けをすれば人間は簡単に人殺しをできるということを中国における日本兵の虐殺行為は証明しているのではないのでしょうか。
私と紛争国の兵士では置かれている環境も精神構造も異なるでしょう。少なくとも自宅でのんびりパソコンを打っている私などに彼らを非難する資格が果たしてあるのかと思うのです。
私が心に打たれたある漫画の会話を紹介します。
ある傷害事件を犯した少女が警察官にこんな質問をしました。
少女:「なぜ人を殺してはいけないのですか?」
刑事:「人を殺せば罪になるからだ。」
少女:「なぜ人を殺したら罪になるのですか?」
刑事:「法律で決められているからだ。」
少女:「なぜ法律でそう決められているのですか?」
回答に困る刑事はたまたま通りがかった検事に助けを求めた。
検事:「私は法律家だ。だから法律に乗っ取って話をする」
「なぜ人を殺したら罪になるかという質問だがそれは法律で決められているからだ。」
「ではなぜ法律でそう決められているか?」
「それは人が人を殺してきたからだ。」この言葉に反応する少女。
「人を殺しても罪にならないということは、自分も人に殺される危険性があるということだ。」
「人に殺されないように注意を払うということには途轍もないエネルギーが要る。」
「そんなことをしながら生活していくのは大変だ。」
「だから『私はあなたを殺さないからあなたも私を殺さないでください』と言う約束を互いにした。」
「約束は法律の原型なんだ。」
「実を言うとこの約束が世界的に広まったのはつい最近でね。」
「今でもその約束がうまく機能していない地域もある。」
・
・
・
(多少内容は間違っているかもしれません)
(ここから先はうる覚えなのですみません)
(ちなみに少女は検事の回答に及第点をつけました)
単に虐殺反対を唱えるだけでは虐殺を止められないと思ったのはこの時からでした。
> すごい発言だなぁと思う。現在の虐殺は貴方がその正当性を認めているような気がしますね。君の論理で言えば現在には虐殺してもいいと思いますか。
> どんな時代でも虐殺、特に罪のない人々を虐殺することは絶対許せない。こんなことは中国の先生から教えてくれましたが、日本人の先生が教えませんか。
そう認識されてしまうのならそうなのかもしれません。
たしかに、戦後の日本の学校でも「人殺しをしてはいけない(罪のあるなしを問わず)」ということは教えていますが、子供に「なぜ、人殺しをしていけないの?」という問いに明確な答えを出せていないのだと思います。「殺された人の肉親が悲しむから」とか「逮捕されるから」などの理由では説明しきれない矛盾があります。
それでも小さい頃からの教育によって殺人に対する恐怖が植えつけられるのだと思います。この恐怖こそが倫理観という虐殺行為を防ぐための最後の砦なのでしょうが・・・
問題なのは紛争国でそういう教育がなされていることではないでしょうか。民族紛争や宗教紛争はとにかく相手に対して残虐になりやすい、それは敵国人を悪魔と呼び人殺しを聖戦或いは正義と呼ぶような教育がなされているのではないでしょうか。
倫理の砦は一見強固に見えてその実は意外と脆いのだと思います。(自分自身で殺人が悪だという理論が確立していない場合は特に)
殺人に対する恐怖は殺人をするごとに弱まっていくでしょう。逆に自分自身の中で正当化する理由を作り上げていくでしょう。「上官に命令されたから」・「やらなきゃやられるから」・「天皇陛下のために」などの理由付けをすれば人間は簡単に人殺しをできるということを中国における日本兵の虐殺行為は証明しているのではないのでしょうか。
私と紛争国の兵士では置かれている環境も精神構造も異なるでしょう。少なくとも自宅でのんびりパソコンを打っている私などに彼らを非難する資格が果たしてあるのかと思うのです。
私が心に打たれたある漫画の会話を紹介します。
ある傷害事件を犯した少女が警察官にこんな質問をしました。
少女:「なぜ人を殺してはいけないのですか?」
刑事:「人を殺せば罪になるからだ。」
少女:「なぜ人を殺したら罪になるのですか?」
刑事:「法律で決められているからだ。」
少女:「なぜ法律でそう決められているのですか?」
回答に困る刑事はたまたま通りがかった検事に助けを求めた。
検事:「私は法律家だ。だから法律に乗っ取って話をする」
「なぜ人を殺したら罪になるかという質問だがそれは法律で決められているからだ。」
「ではなぜ法律でそう決められているか?」
「それは人が人を殺してきたからだ。」この言葉に反応する少女。
「人を殺しても罪にならないということは、自分も人に殺される危険性があるということだ。」
「人に殺されないように注意を払うということには途轍もないエネルギーが要る。」
「そんなことをしながら生活していくのは大変だ。」
「だから『私はあなたを殺さないからあなたも私を殺さないでください』と言う約束を互いにした。」
「約束は法律の原型なんだ。」
「実を言うとこの約束が世界的に広まったのはつい最近でね。」
「今でもその約束がうまく機能していない地域もある。」
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(多少内容は間違っているかもしれません)
(ここから先はうる覚えなのですみません)
(ちなみに少女は検事の回答に及第点をつけました)
単に虐殺反対を唱えるだけでは虐殺を止められないと思ったのはこの時からでした。
これは メッセージ 1288 (kanafuna さん)への返信です.