Re: 虐殺は「偕行」の認識 国民の認識は?
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2006/09/14 06:47 投稿番号: [12262 / 41162]
>第1
市民に対する虐殺事件。これは絶対にそういうことはないと信じている。
第2 俘虜の虐殺。先述したような誤り伝えられた外に、これもないと考える。
第3 外国権益、特に財産に対する侵害。これは一部にあったと思う。ただし、これは中国兵がやったのか日本兵がやったのか、その点は今に至るまではっきりしない。
第4 婦女子に対する不法行為および掠奪。これは小規模においてはあったと考え、はなはだ遺憾に思う。
>自分の南京占領に対する周到な配慮に拘らず、占領当時のこうそうたる状態における、興奮した一部若年将兵の間に忌むべき暴行を行った者があったらしく、これは自分のはなはだ遺憾とするところである。
なんなんだ〜〜これ、、これで無かったと? アホか?(笑)
松井石根の口述書
松井石根は1947年11月24日極東軍事裁判で自身により証言台に立った。以下はその口述である。
予の南京占領に関する周到なる配慮に係わらず、占領当時の倥惚たる状勢に於ける一部若年将兵の間に、忌むべき暴行を行いたる者ありたるならむ。これ予の甚だ遺憾とするところなり。
因みに南京陥落当時、予は南京を去る40哩の蘇州に於いて病臥中にて、予の命令に拘わらず、之等非行の行われたることにつき之を知らず、又、何等の報告に接せず。17日、南京入城後、初めて憲兵隊長より之を聞き、各部隊に命じて即時厳格なる調査と処罰を為さしめたり。(中略)
予は南京陥落後、昭和13年2月まで上海に在任せるが、其間、昭和12年12月下旬、南京に於いて只若干の不法事件ありたりとの噂を関知したるのみにて、何等斯かる事実に就き公的報告を受けたることなく、当法廷に於いて検事側の主張するが如き大規模なり虐殺・暴行事件に関しては、1945年終戦後、東京に於ける米軍の放送により初めて之を聞知したるものなることを茲に確信す。
松井は処刑を前にした1948年12月9日、花山老師に南京事件について最後の述懐をなした。
南京事件はお恥ずかしい限りです。…私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときはシナ人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。
慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは朝香宮もおられ、柳川中将も軍司令官だったが、折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまったと。ところが、このあとでみなが笑った。甚だしいのは、ある師団長如きは「当たり前ですよ」とさえ言った。
従って、私だけでもこういう結果になることは当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味でたいへんに嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている。
松井は終始、責任は師団司令部以上にあると認識し、兵士に責任を被せていないことに注意すべきだろう。用語として兵と軍人を分けている。松井は南京における非行と捕虜虐殺(不法行為)は明確に軍人(参謀を中心とする将校)に責任があると認識していた。兵のせいにしているのはエリート参謀将校たちである。
第2 俘虜の虐殺。先述したような誤り伝えられた外に、これもないと考える。
第3 外国権益、特に財産に対する侵害。これは一部にあったと思う。ただし、これは中国兵がやったのか日本兵がやったのか、その点は今に至るまではっきりしない。
第4 婦女子に対する不法行為および掠奪。これは小規模においてはあったと考え、はなはだ遺憾に思う。
>自分の南京占領に対する周到な配慮に拘らず、占領当時のこうそうたる状態における、興奮した一部若年将兵の間に忌むべき暴行を行った者があったらしく、これは自分のはなはだ遺憾とするところである。
なんなんだ〜〜これ、、これで無かったと? アホか?(笑)
松井石根の口述書
松井石根は1947年11月24日極東軍事裁判で自身により証言台に立った。以下はその口述である。
予の南京占領に関する周到なる配慮に係わらず、占領当時の倥惚たる状勢に於ける一部若年将兵の間に、忌むべき暴行を行いたる者ありたるならむ。これ予の甚だ遺憾とするところなり。
因みに南京陥落当時、予は南京を去る40哩の蘇州に於いて病臥中にて、予の命令に拘わらず、之等非行の行われたることにつき之を知らず、又、何等の報告に接せず。17日、南京入城後、初めて憲兵隊長より之を聞き、各部隊に命じて即時厳格なる調査と処罰を為さしめたり。(中略)
予は南京陥落後、昭和13年2月まで上海に在任せるが、其間、昭和12年12月下旬、南京に於いて只若干の不法事件ありたりとの噂を関知したるのみにて、何等斯かる事実に就き公的報告を受けたることなく、当法廷に於いて検事側の主張するが如き大規模なり虐殺・暴行事件に関しては、1945年終戦後、東京に於ける米軍の放送により初めて之を聞知したるものなることを茲に確信す。
松井は処刑を前にした1948年12月9日、花山老師に南京事件について最後の述懐をなした。
南京事件はお恥ずかしい限りです。…私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときはシナ人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。
慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは朝香宮もおられ、柳川中将も軍司令官だったが、折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまったと。ところが、このあとでみなが笑った。甚だしいのは、ある師団長如きは「当たり前ですよ」とさえ言った。
従って、私だけでもこういう結果になることは当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味でたいへんに嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている。
松井は終始、責任は師団司令部以上にあると認識し、兵士に責任を被せていないことに注意すべきだろう。用語として兵と軍人を分けている。松井は南京における非行と捕虜虐殺(不法行為)は明確に軍人(参謀を中心とする将校)に責任があると認識していた。兵のせいにしているのはエリート参謀将校たちである。
これは メッセージ 12253 (deliciousicecoffee さん)への返信です.