Re: 虐殺は嘘71 支那軍による虐殺11徴
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/13 22:37 投稿番号: [12249 / 41162]
>誰か?2000年代の国内暴動を聞いたか?
>農民は殺されたか? 軍は武器を獲られたか?
支那の農民は今でも殺されまくってるぞ。
支那では、古今東西、何時でも何処でも、農民と権力者(軍隊・警察)が殺し合いをしている。
最近3年間でも多くの農民が政府によって虐殺されている。
農民が土地の強制収用に抗議しているだけで武装警察が射殺したり電気警棒や催涙ガスを使用する。
これが今も昔も未来も変わることのない支那の姿だ。
>国民党軍は確かに、まとまった軍隊ではなかった様だが、、日本軍も似たような軍隊だったようだぜ(笑)
だから、オマエの妄想ではなく、根拠を示して説明してみろよ。
――――――――
■日本軍は金を払った
「1月25日(曇)きょうは、発電所に2名の使役をだす。分隊は正門から約2キロの部落へ、野菜と食糧の徴発に行った。しかし、軍票がないので、日本円で払うと、土民は喜び、鶏卵まで加えてくれた」(46頁)
「2月6日(晴後曇、時々小雪) 分隊の何名かを残して徴発に行く。土民も段々好意を持つようになった。軍票がないので、幾らかの日本銭を与えると『謝謝』と笑顔で送ってくれる。」(49頁)
「4月5日(晴) きょうは勤務はない。昨日のこと(注:松江付近における敵の急襲)もあるので、いつ非常出勤があるかも知れない。野菜不足のため、城外に徴発に行く。農民は、我々がいつも金を与える関係で喜んで野菜を売ってくれる。またわれわれのためにすこし備蓄しておいてくれるらしい。」(72頁)
長谷川秋広上等兵の私家版『戦火の揚子江を行く』より引用
Ω Ω Ω Ω
■支那軍(不逞支那人)は略奪した
私家版の片山兵二著『郷土部隊と共に歩んだ「わが青春の中国大陸従軍譚」』(昭和52年)
以下は佐藤己三男准尉から聞いた南京陥落から四ヶ月後の湯山の模様。
「どうも油断がならなくてね。昨夜も付近烽火を合図に数十名の敗残兵が現れ、良民から金品を強奪して行きました。そのため毎日討伐をやり、警戒を厳重にしていますよ」(347頁)
大坪鉄三郎准尉と長倉久徳一等兵が語る、湯山の南の句容の状況。
「この近くの部落へ十五名ばかりの強盗がやってきて、主人(農夫)を竈の上に吊り上げ、火あぶりにしたが、それが丁度、憲兵隊が使っているコックの実家なので、すぐに報告があり、今朝二手に分かれて討伐をやったのです。・・・奴らの残忍性にはあきれます。
農民を火あぶりにした上、金を奪い取り、憲兵隊へ密告せば命がないぞと脅していくので、農民はブルブル震えて仕事が手につかないのです、そのためわれわれが行くと喜び親しんでイスをすすめ、お茶を出して歓待してくれますよ」(349頁〜350頁)
『1937南京攻略戦の真実』東中野修道編著(小学館文庫)より引用
――――――――
>>彼女は家に帰って、赤ん坊を地べたに続けざまに打ちつけて死なせてしまった。
>道理には適ってるな、、赤ん坊を徴兵してくれと、、お願いしたのだろうか?(笑)
要するに、支那という所は地獄であり、支那人というのは最低の民族ということだ。
>農民の苦しさは、何処の国も同じだよ(笑)
>だから、敢えて否定はしないが、、己の足下も見てからにして欲しいね(笑)
>親の為なら、どんな理不尽な事でも逆らえなかった時代だ。
>そう言った時代が日本にもあったこと忘れちゃいかんと、、思うけどね。
○ -ーー ,,_ ゜。。゜
r'" `ヽ,__
ヽ ∩/ ̄ ̄ ヽつ
ノ ̄ヽ "ヽ/ " ノ ヽi すいませんでした―――――――!!
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>農民は殺されたか? 軍は武器を獲られたか?
支那の農民は今でも殺されまくってるぞ。
支那では、古今東西、何時でも何処でも、農民と権力者(軍隊・警察)が殺し合いをしている。
最近3年間でも多くの農民が政府によって虐殺されている。
農民が土地の強制収用に抗議しているだけで武装警察が射殺したり電気警棒や催涙ガスを使用する。
これが今も昔も未来も変わることのない支那の姿だ。
>国民党軍は確かに、まとまった軍隊ではなかった様だが、、日本軍も似たような軍隊だったようだぜ(笑)
だから、オマエの妄想ではなく、根拠を示して説明してみろよ。
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■日本軍は金を払った
「1月25日(曇)きょうは、発電所に2名の使役をだす。分隊は正門から約2キロの部落へ、野菜と食糧の徴発に行った。しかし、軍票がないので、日本円で払うと、土民は喜び、鶏卵まで加えてくれた」(46頁)
「2月6日(晴後曇、時々小雪) 分隊の何名かを残して徴発に行く。土民も段々好意を持つようになった。軍票がないので、幾らかの日本銭を与えると『謝謝』と笑顔で送ってくれる。」(49頁)
「4月5日(晴) きょうは勤務はない。昨日のこと(注:松江付近における敵の急襲)もあるので、いつ非常出勤があるかも知れない。野菜不足のため、城外に徴発に行く。農民は、我々がいつも金を与える関係で喜んで野菜を売ってくれる。またわれわれのためにすこし備蓄しておいてくれるらしい。」(72頁)
長谷川秋広上等兵の私家版『戦火の揚子江を行く』より引用
Ω Ω Ω Ω
■支那軍(不逞支那人)は略奪した
私家版の片山兵二著『郷土部隊と共に歩んだ「わが青春の中国大陸従軍譚」』(昭和52年)
以下は佐藤己三男准尉から聞いた南京陥落から四ヶ月後の湯山の模様。
「どうも油断がならなくてね。昨夜も付近烽火を合図に数十名の敗残兵が現れ、良民から金品を強奪して行きました。そのため毎日討伐をやり、警戒を厳重にしていますよ」(347頁)
大坪鉄三郎准尉と長倉久徳一等兵が語る、湯山の南の句容の状況。
「この近くの部落へ十五名ばかりの強盗がやってきて、主人(農夫)を竈の上に吊り上げ、火あぶりにしたが、それが丁度、憲兵隊が使っているコックの実家なので、すぐに報告があり、今朝二手に分かれて討伐をやったのです。・・・奴らの残忍性にはあきれます。
農民を火あぶりにした上、金を奪い取り、憲兵隊へ密告せば命がないぞと脅していくので、農民はブルブル震えて仕事が手につかないのです、そのためわれわれが行くと喜び親しんでイスをすすめ、お茶を出して歓待してくれますよ」(349頁〜350頁)
『1937南京攻略戦の真実』東中野修道編著(小学館文庫)より引用
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>>彼女は家に帰って、赤ん坊を地べたに続けざまに打ちつけて死なせてしまった。
>道理には適ってるな、、赤ん坊を徴兵してくれと、、お願いしたのだろうか?(笑)
要するに、支那という所は地獄であり、支那人というのは最低の民族ということだ。
>農民の苦しさは、何処の国も同じだよ(笑)
>だから、敢えて否定はしないが、、己の足下も見てからにして欲しいね(笑)
>親の為なら、どんな理不尽な事でも逆らえなかった時代だ。
>そう言った時代が日本にもあったこと忘れちゃいかんと、、思うけどね。
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これは メッセージ 12242 (yominokuni56 さん)への返信です.