何故、虐殺に至ったか
投稿者: nita2 投稿日時: 2002/09/11 19:35 投稿番号: [1190 / 41162]
石原莞爾の言を借りれば、戦術の変化は密集隊形の方陣から横隊になり散兵になり戦闘群になった。
方陣は点であり、横隊は実線、散兵は点線、戦闘群の戦法は面の戦術。
つまり、点、線から面になった。
さて、上海戦は塹壕戦でした。
乃木希典の旅順攻略では、150日余りに及び、死者1万5000人、負傷者4万4000人を出し
ましたがそれと同じ塹壕線です。
これを松井石根はわずか一週間で攻略してしまいます。
軽機関銃を装備した10人程の分隊が散兵となり一面に広がって一気に塹壕を突破したのです。
稀に見る名将ですね。
しかし、反面、この戦法は、兵員の損耗が激しい。
だから、別名、肉弾攻撃といいます。
旅順では150日で1万5000人の死者ですが、上海戦では一週間で2万人の死者。
そして、そのまま掃討戦に入り南京まで進軍したのですから、当然、補給線は伸び追いつかない。
ってか、掃討戦は松井石根の独断だし、そんなに早く突破できるとは大本営も考えてないから、
補給線など端から考えていない。
しかし、戦術としては間違っていなかった。
悲劇は肉弾戦で勇猛な散兵として活躍した兵員にも感情があったこと。
10人余りの分隊で一人、また一人と銃弾に倒れて行くし、物資の不足もおびただしくなってくる。
で、南京に着くころには、パニクって・・・
以上、妄想トピ化してしまったので脳内データによる考察でした。
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