Re: 嘘吐き婆夏淑琴とマギー >横
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/08/08 01:39 投稿番号: [11613 / 41162]
>昨日TVで九州大学の米兵捕虜生体実験の話やってましたな。
あー、運転しながらだったけど、少し観たよ。
実は、先日、上坂冬子著『生体解剖――九州大学医学部事件』を読んだんだ。
その本の要旨をメモしておいたから披露しよう。
―――――――
1945年、軍は手術が必要な捕獲したB29乗員12人を九州大学に送り、九州大学は8人を手術したが死亡した。
実は、笹川拓軍医見習士官が銃殺されるB29乗員を医学の進歩に役立てようと考え、元師匠で九州大学医学部第一外科部長の岩山福太郎教授に人体実験を依頼(提案)したようだ。
手術に立ち会った飛巣一郎助教授は、岩山福太郎教授のB29乗員に対する手術が実は実験・解剖ではないかと気が付き、米飛行士の普通でない手術をやめるように諫言した。
同じく手術に立ち会っていた尾藤源太助教授も同じことに気が付いたらしく岩山教授に諫言していた。
米飛行士に対する普通でない手術についての風評は当時からあったようだが、事件の端緒はGHQ宛の匿名の投書だった。
1946年7月13日、岩山福太郎が逮捕。
1946年7月17日深夜、岩山が独房で縊死。
1947年、「生体解剖事件」の逮捕から1年後、何故か「肝食い事件」なるものが派生した。
実は、「肝食い事件」はGHQによる完全な「でっち上げ」であった。
真武七郎大尉は、GHQ調査官の作文による事実無根の「肝食い事件」に関する供述書に一旦は署名してしまった。
しかし、後日、真武はGHQに乗り込み、供述書の撤回を要求したが、逆に偽証罪を追加して逮捕されてしまった。
1948年8月29日、横浜の軍事法廷で、生体解剖裁判の判決。
1950年6月26日、再審減刑が行われた。
1952年10月23日、巣鴨から1週間の休暇で生家に戻った平田吾八教授(解剖学)が、「実際は米兵の外科手術を行ったのであって、そのときたまたま空室がなく、解剖教室を借り、手術の結果米兵が死亡したので米国側が生体解剖だと宣伝したのだ」と語った。
―――――――
まー、こんな感じだな。
もっとまとめると、
―――――――
一人の軍医見習士官が銃殺されるB29乗員を使って人体実験を発案し、軍の上官が容認し、九州大学の石山教授が実行した。
一方、「肝食い事件」については、GHQによる完全な捏造だった。
―――――――
ということらしい。
事件が真実だとしても、犯人は笹川拓軍医見習士官と岩山福太郎教授の2人、若しくは容認した上官まで含めた3人だな。
ただ、結果的に真犯人とされている者2人は、裁判当時すでに死んでいた者2人だ。
当時は、多くの日本人がでっち上げによって死刑にされていた状況を考えると、生き残っていた人間が完全無罪を主張するより、敢えて有りもしない事件を認め、すでに死んだ2人に責任を負わせる裁判戦術をとる方が助かる可能性が高いと考えたかもしれない。
犯人とされた2人が死んでいた2人であった以上、真相究明は難しいだろう。
それよりも、もっと面白いことに気が付いた。
上坂冬子のこの本が1979年発行だったと分かり、731部隊の生体解剖の与太話はこれをヒントに書かれ出したのだということに気が付いた。
そう言えば、ハバロフスクの軍事裁判も、この事件の裁判の翌年だった。
1948年3月11日、横浜の軍事法廷で、(九州大学)生体解剖裁判が始まる。
1948年8月29日、横浜の軍事法廷で、(九州大学)生体解剖裁判の判決。
1949年、ハバロフスク軍事法廷で、ソ連に抑留・拘禁されていた捕虜が、「人を凍結して復活させる実験」や「心臓を交換する実験」などについて証言。
1979年、『生体解剖―九州大学医学部事件』上坂冬子著が発行
1981年、『消せない記憶・生体解剖の記録』吉開那津子・湯浅謙(中帰連)著が発行
1983年、『悪魔の飽食』森村誠一著が発行
731部隊の生体解剖なる話は完全なフィクションだったことが、益々はっきりした。
あー、運転しながらだったけど、少し観たよ。
実は、先日、上坂冬子著『生体解剖――九州大学医学部事件』を読んだんだ。
その本の要旨をメモしておいたから披露しよう。
―――――――
1945年、軍は手術が必要な捕獲したB29乗員12人を九州大学に送り、九州大学は8人を手術したが死亡した。
実は、笹川拓軍医見習士官が銃殺されるB29乗員を医学の進歩に役立てようと考え、元師匠で九州大学医学部第一外科部長の岩山福太郎教授に人体実験を依頼(提案)したようだ。
手術に立ち会った飛巣一郎助教授は、岩山福太郎教授のB29乗員に対する手術が実は実験・解剖ではないかと気が付き、米飛行士の普通でない手術をやめるように諫言した。
同じく手術に立ち会っていた尾藤源太助教授も同じことに気が付いたらしく岩山教授に諫言していた。
米飛行士に対する普通でない手術についての風評は当時からあったようだが、事件の端緒はGHQ宛の匿名の投書だった。
1946年7月13日、岩山福太郎が逮捕。
1946年7月17日深夜、岩山が独房で縊死。
1947年、「生体解剖事件」の逮捕から1年後、何故か「肝食い事件」なるものが派生した。
実は、「肝食い事件」はGHQによる完全な「でっち上げ」であった。
真武七郎大尉は、GHQ調査官の作文による事実無根の「肝食い事件」に関する供述書に一旦は署名してしまった。
しかし、後日、真武はGHQに乗り込み、供述書の撤回を要求したが、逆に偽証罪を追加して逮捕されてしまった。
1948年8月29日、横浜の軍事法廷で、生体解剖裁判の判決。
1950年6月26日、再審減刑が行われた。
1952年10月23日、巣鴨から1週間の休暇で生家に戻った平田吾八教授(解剖学)が、「実際は米兵の外科手術を行ったのであって、そのときたまたま空室がなく、解剖教室を借り、手術の結果米兵が死亡したので米国側が生体解剖だと宣伝したのだ」と語った。
―――――――
まー、こんな感じだな。
もっとまとめると、
―――――――
一人の軍医見習士官が銃殺されるB29乗員を使って人体実験を発案し、軍の上官が容認し、九州大学の石山教授が実行した。
一方、「肝食い事件」については、GHQによる完全な捏造だった。
―――――――
ということらしい。
事件が真実だとしても、犯人は笹川拓軍医見習士官と岩山福太郎教授の2人、若しくは容認した上官まで含めた3人だな。
ただ、結果的に真犯人とされている者2人は、裁判当時すでに死んでいた者2人だ。
当時は、多くの日本人がでっち上げによって死刑にされていた状況を考えると、生き残っていた人間が完全無罪を主張するより、敢えて有りもしない事件を認め、すでに死んだ2人に責任を負わせる裁判戦術をとる方が助かる可能性が高いと考えたかもしれない。
犯人とされた2人が死んでいた2人であった以上、真相究明は難しいだろう。
それよりも、もっと面白いことに気が付いた。
上坂冬子のこの本が1979年発行だったと分かり、731部隊の生体解剖の与太話はこれをヒントに書かれ出したのだということに気が付いた。
そう言えば、ハバロフスクの軍事裁判も、この事件の裁判の翌年だった。
1948年3月11日、横浜の軍事法廷で、(九州大学)生体解剖裁判が始まる。
1948年8月29日、横浜の軍事法廷で、(九州大学)生体解剖裁判の判決。
1949年、ハバロフスク軍事法廷で、ソ連に抑留・拘禁されていた捕虜が、「人を凍結して復活させる実験」や「心臓を交換する実験」などについて証言。
1979年、『生体解剖―九州大学医学部事件』上坂冬子著が発行
1981年、『消せない記憶・生体解剖の記録』吉開那津子・湯浅謙(中帰連)著が発行
1983年、『悪魔の飽食』森村誠一著が発行
731部隊の生体解剖なる話は完全なフィクションだったことが、益々はっきりした。
これは メッセージ 11606 (fukagawatohei さん)への返信です.