Re: 嘘吐き東中野3
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/30 03:59 投稿番号: [11413 / 41162]
>1は、1月16日発の電文。こちらが「揚子江デルタ」のこと。検閲盗読され外務大臣広田弘毅の電報となって翌17日ワシントンの日本大使館に送られた。
なるほど。
これが#11275で紹介したサイトで述べられていた打電か。
――――――――
ティンパレーは序文の中で、見聞したという日本軍の暴行記事をガーディアン紙に打電しようとしたが上海の日本側電報検閲員に発電を差し止められたので、本を書くことで世界に知らせようとした、と記している。
しかし、根拠のない30万という数の記事など、非常識として差し止めるのは当然であり、むしろ彼は承知のうえで「差し止め」させる状況をわざと作り、「差し止め」られるとその事実を誇大に宣伝することで自分の捏造記述に信憑性を持たせたのだった。
そして、理不尽な日本の弾圧をくぐりぬけ、良心的ジャーナリストとして真相を発表・告発したのだと、自分と自著を持ち上げた。
国民党にとってティンパレーは、まさにツボを心得た見事なエージェントであった。
昭和13年1月17日、ティンパレーのこの「南京その他で30万を下らない民間中国人が殺戮された」という記事を広田弘毅外相名でワシントンの日本大使館に送信、それがアメリカ側に傍受され解読されていた。
これをもって、当時の日本の軍中央や政府の指導者が南京大虐殺を知っていた証拠だと嬉々として述べる人がいる。
しかしこれは「こんな与太記事を流す記者がいる」と伝達しただけのもので、南京の暴虐を事実としたものではない。
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa03/nank4.htm
――――――――
>そんなことより以前に証拠はあった。
>「戦争とはなにか」の前文に、
>===
>こうして削除され、あるいは不完全なものになった電文の中には、著者が『マン>チェスター・ガーディアン』に打電しようとした電報もいくつかはいっていた。
>===
>がある。
>これを東中野は隠した。だから、deliciousicecoffee君は知らない。
別に隠した訳じゃないと思うよ。
差し押さえのトリックを一つ紹介すれば十分だと考えたのだと思うよ。
その部分はあってもなくても東中野教授が言わんとすることに何ら大きな変化はない。
>電報検閲は1月5日からだそうだ。ティンパリーがそのことを知っていたかどうかを私はしらない。
当然知っていただろ。
>日本の国際的評価を落としたのが検閲の強行であり、
冗談じゃない。
上海戦が頃には、支那が毎日繰り出す嘘の反日逆宣伝で、英国内では反日運動が拡がった。
1937年10月1日、ロンドンで吉田駐英大使は日本の新聞記者に次のように語った。
「“5日に行われる反日大会の司会”をカンタベリー大主教が引き受けたので抗議の書簡を送った。大主教は、支那側の逆宣伝による根拠なき作り事を何ら確かめもせず受諾している」と。
また10月2日の中外新聞は
――――――
〔ロンドン発1日同盟〕 支那軍の全面的敗退に狼狽した支那側のデマ宣伝はいよいよ露骨を加えてきた…ロンドン駐在支那大使館では毎日のように日本軍を中傷する記事を流して、英国民の反日気勢を煽っている。
その上在支外国通信員を動かす等の間接方法をも併用、絶体絶命、泣き落とし政策で英国民の同情を得んと必死になっている。従って日本側の反駁ないし抗議はともすれば無視されがちである。
…外人目撃者のいない場所に関しては、今なお…デマが行われている。
9月28日のロンドン・タイムスは
「英国政府は26日、支那側のマークを付したる日本軍飛行機二機が広徳・安徽方面に現れ、爆弾を投下したとの支那政府の覚書を受領した」
と報道し、ラジオも同趣旨の放送を行った。
――――――
と伝えている。
英国は、デマを何ら確かめもせず垂れ流していたのだ。
それだけではない。
香港は10月初め、支那への武器輸送基地になっていた。
広東の兵器工場が日本軍の爆撃で使えなくなった為、飛行機は香港で組み立てられ空中輸送をされ、自動車は広東まで鉄道で運ばれて、そこから道路を奥地に輸送されていた。
この時の英国による支那への武器援助も半端なものではなく、毒ガス兵器など交戦法規で禁止されているものも含めて大量に支援した。
こんなことをされたら、日本が与太記事を差し押さえるのは当たり前だろ。
そうは思わないか?
ん?
なるほど。
これが#11275で紹介したサイトで述べられていた打電か。
――――――――
ティンパレーは序文の中で、見聞したという日本軍の暴行記事をガーディアン紙に打電しようとしたが上海の日本側電報検閲員に発電を差し止められたので、本を書くことで世界に知らせようとした、と記している。
しかし、根拠のない30万という数の記事など、非常識として差し止めるのは当然であり、むしろ彼は承知のうえで「差し止め」させる状況をわざと作り、「差し止め」られるとその事実を誇大に宣伝することで自分の捏造記述に信憑性を持たせたのだった。
そして、理不尽な日本の弾圧をくぐりぬけ、良心的ジャーナリストとして真相を発表・告発したのだと、自分と自著を持ち上げた。
国民党にとってティンパレーは、まさにツボを心得た見事なエージェントであった。
昭和13年1月17日、ティンパレーのこの「南京その他で30万を下らない民間中国人が殺戮された」という記事を広田弘毅外相名でワシントンの日本大使館に送信、それがアメリカ側に傍受され解読されていた。
これをもって、当時の日本の軍中央や政府の指導者が南京大虐殺を知っていた証拠だと嬉々として述べる人がいる。
しかしこれは「こんな与太記事を流す記者がいる」と伝達しただけのもので、南京の暴虐を事実としたものではない。
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa03/nank4.htm
――――――――
>そんなことより以前に証拠はあった。
>「戦争とはなにか」の前文に、
>===
>こうして削除され、あるいは不完全なものになった電文の中には、著者が『マン>チェスター・ガーディアン』に打電しようとした電報もいくつかはいっていた。
>===
>がある。
>これを東中野は隠した。だから、deliciousicecoffee君は知らない。
別に隠した訳じゃないと思うよ。
差し押さえのトリックを一つ紹介すれば十分だと考えたのだと思うよ。
その部分はあってもなくても東中野教授が言わんとすることに何ら大きな変化はない。
>電報検閲は1月5日からだそうだ。ティンパリーがそのことを知っていたかどうかを私はしらない。
当然知っていただろ。
>日本の国際的評価を落としたのが検閲の強行であり、
冗談じゃない。
上海戦が頃には、支那が毎日繰り出す嘘の反日逆宣伝で、英国内では反日運動が拡がった。
1937年10月1日、ロンドンで吉田駐英大使は日本の新聞記者に次のように語った。
「“5日に行われる反日大会の司会”をカンタベリー大主教が引き受けたので抗議の書簡を送った。大主教は、支那側の逆宣伝による根拠なき作り事を何ら確かめもせず受諾している」と。
また10月2日の中外新聞は
――――――
〔ロンドン発1日同盟〕 支那軍の全面的敗退に狼狽した支那側のデマ宣伝はいよいよ露骨を加えてきた…ロンドン駐在支那大使館では毎日のように日本軍を中傷する記事を流して、英国民の反日気勢を煽っている。
その上在支外国通信員を動かす等の間接方法をも併用、絶体絶命、泣き落とし政策で英国民の同情を得んと必死になっている。従って日本側の反駁ないし抗議はともすれば無視されがちである。
…外人目撃者のいない場所に関しては、今なお…デマが行われている。
9月28日のロンドン・タイムスは
「英国政府は26日、支那側のマークを付したる日本軍飛行機二機が広徳・安徽方面に現れ、爆弾を投下したとの支那政府の覚書を受領した」
と報道し、ラジオも同趣旨の放送を行った。
――――――
と伝えている。
英国は、デマを何ら確かめもせず垂れ流していたのだ。
それだけではない。
香港は10月初め、支那への武器輸送基地になっていた。
広東の兵器工場が日本軍の爆撃で使えなくなった為、飛行機は香港で組み立てられ空中輸送をされ、自動車は広東まで鉄道で運ばれて、そこから道路を奥地に輸送されていた。
この時の英国による支那への武器援助も半端なものではなく、毒ガス兵器など交戦法規で禁止されているものも含めて大量に支援した。
こんなことをされたら、日本が与太記事を差し押さえるのは当たり前だろ。
そうは思わないか?
ん?
これは メッセージ 11411 (usotaiji さん)への返信です.