日本の原爆製造計画
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2006/07/07 20:35 投稿番号: [10690 / 41162]
(googleより)
原爆開発に皇族が関与
一九七六年、山本氏が著した『日本製原爆の真相』(株式会社創造刊)は、原爆製造に挫折したものの、その過程の内幕を明らかにするとともに、皇族による推進指導の事実を指摘したうえで、その上に君臨する天皇裕仁の関与をも十分推理させるものとして興味深い。
「昭和十九年六月のはじめに、三笠宮は南方よりウランを含む燐灰ウラン鉱と称するものを持って帰られ、理化学研究所の飯盛(里安)博士に鑑定を依頼されたが、それはただの長石であったとのエピソードもある。」
「戦局の急迫を心配された三笠宮が、原子爆弾についてとくに興味をもたれ、昭和十九年六月二十五日に番町の御殿に仁科(芳雄)博士、飯盛博士、鉱物採取で有名な長島音吉氏を招かれて、原子爆弾とそれを製造するために必要なウラン鉱物の資源などについて、高松宮とともに話し合われた。この話は後日、私がウラン鉱物調査の担当を命ぜられて、七月十八日に理化学研究所に、飯盛博士を西技術中尉とともに訪ねたときに聴いた。」
「航空本部が、とくに昭和十九年六月ごろから原子力研究に力を入れたのも、高松宮・三笠宮の考えに添うためで合ったことも事実である。そのためすでに研究を中止していた海軍においても、海軍技術研究所化学研究部の北川技術中佐を担当として、京都帝国大学理学部荒勝博士を中心とするウラン原子力に関する研究を行うようになった。・・・・・このように日本でも原子爆弾の研究が行われていたのは事実である。極めて秘密であったため、原子物理に関係ある科学者ですらも知らなかったのも当然である。」
著者の山本氏は本書の別のところでもくり返し原爆開発製造の推進者として、裕仁天皇の実の弟たちの名を挙げている。もっとも陸軍航空本部が仁科博士にウラン研究を依託したのは太平洋戦争勃発の一九四一年からといわれ、海軍も一九四二年七月に仁科博士を委員長に著名な科学者を総動員して「物理研究会」を組織し、「原子力機関」の研究をはじめていた。したがって高松宮・三笠宮のプッシュによって一九四四年夏、マリアナ沖海戦で日本海軍の連合艦隊が消滅し、その後日本列島じゅうたん爆撃の出撃基地となったサイパン、テニヤン両島が失陥するという急迫した戦局の中で、日本製原爆の開発研究に拍車がかかり、本格化したわけである。当時の金で二千万円、今日の二百億円にも相当する予算が投入された。原爆が製造されたあかつきには、サイパン、テニヤンやアメリカ本土を攻撃して一泡吹かせ、原爆製造に至らないまでも動力源として原子力エンジンが開発できれば、通常兵器によるアメリカ本土爆撃を軍当局は夢みていた。
(昔の皇族がやってる事は今の北朝鮮の金ブタと変わらんの。
まあ、南京とは関係ないが、核兵器に異常な執着を持つ元祖コーヒーさんなら既にご存知の話とは思いますが。
とにかく、現代でも皇族を盲目的に崇拝する人がいるのには驚かされますな。)
原爆開発に皇族が関与
一九七六年、山本氏が著した『日本製原爆の真相』(株式会社創造刊)は、原爆製造に挫折したものの、その過程の内幕を明らかにするとともに、皇族による推進指導の事実を指摘したうえで、その上に君臨する天皇裕仁の関与をも十分推理させるものとして興味深い。
「昭和十九年六月のはじめに、三笠宮は南方よりウランを含む燐灰ウラン鉱と称するものを持って帰られ、理化学研究所の飯盛(里安)博士に鑑定を依頼されたが、それはただの長石であったとのエピソードもある。」
「戦局の急迫を心配された三笠宮が、原子爆弾についてとくに興味をもたれ、昭和十九年六月二十五日に番町の御殿に仁科(芳雄)博士、飯盛博士、鉱物採取で有名な長島音吉氏を招かれて、原子爆弾とそれを製造するために必要なウラン鉱物の資源などについて、高松宮とともに話し合われた。この話は後日、私がウラン鉱物調査の担当を命ぜられて、七月十八日に理化学研究所に、飯盛博士を西技術中尉とともに訪ねたときに聴いた。」
「航空本部が、とくに昭和十九年六月ごろから原子力研究に力を入れたのも、高松宮・三笠宮の考えに添うためで合ったことも事実である。そのためすでに研究を中止していた海軍においても、海軍技術研究所化学研究部の北川技術中佐を担当として、京都帝国大学理学部荒勝博士を中心とするウラン原子力に関する研究を行うようになった。・・・・・このように日本でも原子爆弾の研究が行われていたのは事実である。極めて秘密であったため、原子物理に関係ある科学者ですらも知らなかったのも当然である。」
著者の山本氏は本書の別のところでもくり返し原爆開発製造の推進者として、裕仁天皇の実の弟たちの名を挙げている。もっとも陸軍航空本部が仁科博士にウラン研究を依託したのは太平洋戦争勃発の一九四一年からといわれ、海軍も一九四二年七月に仁科博士を委員長に著名な科学者を総動員して「物理研究会」を組織し、「原子力機関」の研究をはじめていた。したがって高松宮・三笠宮のプッシュによって一九四四年夏、マリアナ沖海戦で日本海軍の連合艦隊が消滅し、その後日本列島じゅうたん爆撃の出撃基地となったサイパン、テニヤン両島が失陥するという急迫した戦局の中で、日本製原爆の開発研究に拍車がかかり、本格化したわけである。当時の金で二千万円、今日の二百億円にも相当する予算が投入された。原爆が製造されたあかつきには、サイパン、テニヤンやアメリカ本土を攻撃して一泡吹かせ、原爆製造に至らないまでも動力源として原子力エンジンが開発できれば、通常兵器によるアメリカ本土爆撃を軍当局は夢みていた。
(昔の皇族がやってる事は今の北朝鮮の金ブタと変わらんの。
まあ、南京とは関係ないが、核兵器に異常な執着を持つ元祖コーヒーさんなら既にご存知の話とは思いますが。
とにかく、現代でも皇族を盲目的に崇拝する人がいるのには驚かされますな。)
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.