日本の戦争とアジア諸国の独立について

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シンガポールの教科書 中学生 2

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2008/03/22 22:06 投稿番号: [129 / 206]
5000万ドルの贈り物

日本に反抗した中国人に献金を出させるという罰を課した。
シンガポール、マラヤの中国人社会に対して献金の集金が強いられ、5000万ドルが日本に支払われた。彼らは金を集める為家を売りだしても誰もそれらを買おうとせず、2900万ドルしか集められず、残りは日本の銀行から借りねばならなかった。

ケンペイタイの恐怖
スパイによって日本軍に通報されたものはケンペイタイに連れて行かれ、拷問を受けた。一般的な拷問のひとつは「水責め」であった。とらわれた人は寝かせられ大量の水が鼻から口から流し込まれた、この仕打ちを数週間繰り返し行われた。


食料供給不足と闇市
日本軍がシンガポールを占領した時点では、都市周辺の倉庫には蓄えが二〜3年分は十分持ちこたえられるほど、多量にあった。しかし日本軍はこれらの貯えを取り上げ
、シンガポールの人々にはほとんど残らなかった。
米価格は1941年12月60kgにつき5ドルであったものが1944年3月には200ドル   1945年6月には5000ドルにまで高騰した。

日本人は何でも持っていた、なぜなら、当事使用されていた紙幣は「バナナ紙幣」と呼ばれる日本軍が発行した軍票(1941年12月12日決定の「南方経済対策要綱」に基ずき占領地通貨表示の軍票を発行=正貨準備なく事実上は無価値な紙幣)を好きなだけ印刷し流通させた。その結果シンガポールの外交貿易を行き詰まらせ諸外国との貿易は無に等しくなって行った。

食料不足にともなって、配給制が行われるようなり、米は男性一人につき4.8kg(月)女性は3.6kg子供は2.4kgだけが配給された。1944年初頭には減らされた。栄養不足から多くの人々はベイベリ(脚気)結核、マラリアで悩まされ、また、薬品の不足から死んでいった。

自由の制約
日本軍は英語で話される映画を観ることを禁止した。
新聞、ラジオ放送を監督下においた。
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