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台湾につくした日本人列伝(1)

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2008/06/13 16:48 投稿番号: [478 / 1344]
後ろ向きの行為しかできない人間は何の為に日々生きているのだろう。
現在も世界各国に存在する親日感情と言うものはその様な行為から生まれない。


台湾につくした日本人列伝

■1.感謝される日本隊■

  今回の台湾大地震では、日本がかなり目立った働きをした。地震発生当日の夜には、日本からの緊急援助隊が一番乗りし、「空港で一秒間も休まずに災害現場に駆けつけた」(地元マスコミ)。
規模も合計百二十五人と最大、機材も最新鋭、訓練、規律も最高とあって、地元マスコミに高く評価された。
  ファイバースコープや生存者の呼吸を電磁波で探知する「シリウス」と呼ばれるハイテク機器、赤外線探知機、さらに大型の切断器具などの最新鋭装備だけでなく、発見された遺体に敬礼を捧げたり、「(救助できずに)申し訳ありませんでした」と遺族に語る救助隊員の姿勢が、好感を持って報道されている。
  日本時代に育った高齢者「多桑(とうさん)」世代を中心に、「よくやってくださいました。ありがとう。」と涙を浮かべながら、丁寧な日本語でねぎらいの言葉を寄せたり、食事を提供してくれる人も多い。被災地の、それも最も被害の甚大な場所にいながら、食事や水に困ったことがないという。

■2.「多桑」世代の親日感情■

「多桑」とは、台湾語読みで「トーサン」、日本統治時代の「父さん」の名残である。94年に作られた映画「多桑」は、「金馬奨(台湾のアカデミー賞)」の観客投票最優秀作品賞を受けた。

映画の主人公セガは、日本教育を受けた世代で、戦後も何かにつけ、日本びいきだ。子供たちには「トーサン」と呼ばせ、家では日本のラジオ放送を聞き、ラジオの具体が悪くなると、日本製じゃないとだめだ、とぼやく。セガの夢は日本に行って、皇居と富士山を見ることだった。しかし、その夢を果たす前に、この世を去る。
  始めは「奸漢(売国奴)」と非難していた長男も、成人して父親の心情を理解する。この長男が監督として、実体験に基づいて作った映画が「多桑」である。「多桑」世代の人々は、この作品を見て涙を流し、若い世代も関心を向けた。

しかし、「多桑」世代の人々は、なぜそんなに親日的なのだろうか。それは、今回の日本の救助隊と同様、いやそれよりもはるかに大きなスケールで、台湾のために尽くした多くの日本人がいたからである。今回は、それらの人々の一部を列伝風に紹介してみたい。

■3.児玉源太郎、後藤新平、新渡戸稲造■

明治31(1898)年、日本の台湾統治は、まだ3年目であり、あちこちに反抗勢力が残り、治安の確立も、産業の発展も立ち遅れていた。ここで第4代総督として任命されたのが、後に日露戦争でも活躍した児玉源太郎である。児玉は、後藤新平(後の東京市長)を民政長官に起用した。
  後藤はもともと医師であり、社会衛生を重視した。アヘンに高率の税をかけ、吸引者を徐々に減らすと共に、その税収を衛生改善に当てた。当初16万9千人もいたアヘン吸引者は、50年後の日本敗戦時には皆無となっていた。
  また、台湾は「瘴癘(しょうれい、風土病)の地」とも呼ばれ、台湾平定時の日本軍戦死者164名に対し、病死者が実に4,642名という有様だった。
  後藤は悪疫予防のために、上下水道を完備し、主要道路は舗装して、深い側溝を作り、汚水雨水の排出を速やかにした。これは当時の日本本土でも行われていなかった。
  伝染病を抑えるために、台湾医学校を設立して、ここから多くの台湾人医師が育った。またほとんど都市の形をなしていなかった台北で、大都市計画を実行し、整然とした清潔な市街を作り上げた。

  児玉と後藤が台湾農業振興のために、三顧の礼で迎えたのが、日本で最初の農学博士・新渡戸稲造である。新渡戸は、半年かけて台湾全土を巡り、製糖産業に目をつけた。そして品種改良、耕作方法、加工法の改善に取り組んだ。
  この努力が実り、1900年に3万トンだった産糖は、1940年には160万トンとなり、台湾は世界有数の生産地となった。
  児玉は、後藤、新渡戸を全面的にバックアップするかたわら、各地を精力的に巡視して、80歳以上の老人男女を食事に招待する(饗老会)など、民心把握に努めた。日露戦争中は、満洲軍総参謀長となりながらも、台湾総督の職位を離れなかった。
  児玉の死後、江ノ島に神社を作ろうという議が起こったが、予算11万円に対し、集まったのはわずか3千円であった。このことが台湾に伝わると、残りの金額はわずか2週間で集まった。台湾人民がいかに児玉を敬愛していたかが窺われる。
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