「命の恩人に憧れて」
投稿者: asianrobo 投稿日時: 2008/01/12 19:44 投稿番号: [117 / 1344]
「あの日があるから」自衛隊員になった少年「命の恩人に憧れて」
「良平! 」「大丈夫か! 」。自分を呼ぶ声が遠くで聞こえ、目を覚ました。なぜ呼ばれたのか、どこにいるのか、何も分からなかった。辺りはただ真っ暗。身動きができなかった。「ここにおるよ!」。力いっぱい叫んだが、相手に届いたのかどうか。すぐに意識を失った。
平成7年1月17日午前5時46分。当時、小学3年生だった陸上自衛隊第3特殊武器防護隊所属の安藤良平陸士長(22)=兵庫県伊丹市=は、神戸市兵庫区中道通で被災した。自宅のあった3階建てのマンションは全壊。中道地区は倒壊家屋が多く、犠牲者は70人以上に及んだ。
3階の一室に家族4人で住んでいた安藤さんは、崩れ落ちたがれきの下敷きになった。けがはなかったが、倒れかかったタンスと壁の隙(すき)間に入り込み、救助されたのは発生から半日以上経った午後6時前。避難所となった近くの小学校で、父親の政弘さん(52)に抱きかかえられていたとき、ようやく意識が戻った。
□ □
地域住民らが身を寄せ合う真冬の小学校。ビニールシートと木材で校庭に建てられた仮の住まいで約3カ月間、避難生活を送った。その間、相手をしてくれたのは、避難所を毎日訪れる若い自衛隊員だった。
隊員はときに遊び相手になり、話し相手になってくれた。来るのは昼過ぎの給水時間。生活再建の悩みなどで重苦しい雰囲気の避難所で、隊員は優しく、頼もしい「お兄ちゃん役」だった。
そんな自衛隊員が「命の恩人」だと知ったのは、約2年後の小学5年生のころ。半日以上も意識が戻らなかった息子を心配してか、震災のことをほとんど語らなかった父が教えてくれた。
発生直後、政弘さんら3人は外に飛び出したが、安藤さんだけが室内に取り残された。室内は壁が崩れ、天井がゆがみ、タンスが倒れていた。政弘さんは「助かってほしい」と祈るしかなかった。そのとき、駆け付けた隊員が、かすかに聞こえる声を頼りに安藤さんを助け出したという。
苦しい時に手を差し伸べてくれる頼もしい人−。避難所の優しいお兄ちゃんと命の恩人がひとつに重なったとき、安藤さんは自衛隊員になると誓った。
地元の高校を卒業後に入隊。訓練は想像以上に厳しかったが、「人を助ける人間になるには必要」と言い聞かせた。配属先は、放射能汚染や洪水災害後の防疫、消毒作業などを行う化学科を希望。危険な仕事だが、困った人を真っ先に助ける職種に思えたからだ。
今春で自衛隊員になって丸4年になる。各地で地震、水害が頻発するが、災害現場への出動経験はまだない。それでも日々の訓練を通し、1人の被災者を救助することでさえ難しいことを知った。
責任の重さも痛感している。知人に自衛隊員になったと言うと、必ず「頑張れ」と励まされる。13年前の自分と同じように、自衛隊員に助けられた被災者は多い。「がれきの下から助け出された自分だからこそ、いまの仕事に生かせることがあるはず」と話す。
震災から間もなく13年。うれしい知らせも届いた。救出してくれた隊員が見つかり、16日午後、自宅跡地で再会するという。そのとき、こう伝えたいと思っている。
「あなたと同じ自衛官になりました」
◇
6434人が犠牲となった阪神大震災から、17日で13年を迎える。あの時の被災体験を胸に抱き、その後の人生を決めた人たちがいる。自衛隊員になった少年、ボランティアに奔走する女性トラック運転手、消防士、医師…。13年前を忘れず、今を生きる被災者たちを追う。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/080111/dst0801112205005-n1.htm
阪神大震災という悲しい出来事からでも、こういった正のスパイラルを起せるというのは、正直うれしいですね。
お隣の国なんかでは、救助されても逆切れするくらいだから無理だろうけどね。
とにかく、がんばってほしいです。
しかし、こういった報道がなぜ増えないんでしょうかね。
朝日、毎日なんかは、自分達の正義を振り翳すのが報道の役目と勘違いしてるとしか思えんしね。
そういった糞メディアには、とっとと退場してもらいたいものです。
「良平! 」「大丈夫か! 」。自分を呼ぶ声が遠くで聞こえ、目を覚ました。なぜ呼ばれたのか、どこにいるのか、何も分からなかった。辺りはただ真っ暗。身動きができなかった。「ここにおるよ!」。力いっぱい叫んだが、相手に届いたのかどうか。すぐに意識を失った。
平成7年1月17日午前5時46分。当時、小学3年生だった陸上自衛隊第3特殊武器防護隊所属の安藤良平陸士長(22)=兵庫県伊丹市=は、神戸市兵庫区中道通で被災した。自宅のあった3階建てのマンションは全壊。中道地区は倒壊家屋が多く、犠牲者は70人以上に及んだ。
3階の一室に家族4人で住んでいた安藤さんは、崩れ落ちたがれきの下敷きになった。けがはなかったが、倒れかかったタンスと壁の隙(すき)間に入り込み、救助されたのは発生から半日以上経った午後6時前。避難所となった近くの小学校で、父親の政弘さん(52)に抱きかかえられていたとき、ようやく意識が戻った。
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地域住民らが身を寄せ合う真冬の小学校。ビニールシートと木材で校庭に建てられた仮の住まいで約3カ月間、避難生活を送った。その間、相手をしてくれたのは、避難所を毎日訪れる若い自衛隊員だった。
隊員はときに遊び相手になり、話し相手になってくれた。来るのは昼過ぎの給水時間。生活再建の悩みなどで重苦しい雰囲気の避難所で、隊員は優しく、頼もしい「お兄ちゃん役」だった。
そんな自衛隊員が「命の恩人」だと知ったのは、約2年後の小学5年生のころ。半日以上も意識が戻らなかった息子を心配してか、震災のことをほとんど語らなかった父が教えてくれた。
発生直後、政弘さんら3人は外に飛び出したが、安藤さんだけが室内に取り残された。室内は壁が崩れ、天井がゆがみ、タンスが倒れていた。政弘さんは「助かってほしい」と祈るしかなかった。そのとき、駆け付けた隊員が、かすかに聞こえる声を頼りに安藤さんを助け出したという。
苦しい時に手を差し伸べてくれる頼もしい人−。避難所の優しいお兄ちゃんと命の恩人がひとつに重なったとき、安藤さんは自衛隊員になると誓った。
地元の高校を卒業後に入隊。訓練は想像以上に厳しかったが、「人を助ける人間になるには必要」と言い聞かせた。配属先は、放射能汚染や洪水災害後の防疫、消毒作業などを行う化学科を希望。危険な仕事だが、困った人を真っ先に助ける職種に思えたからだ。
今春で自衛隊員になって丸4年になる。各地で地震、水害が頻発するが、災害現場への出動経験はまだない。それでも日々の訓練を通し、1人の被災者を救助することでさえ難しいことを知った。
責任の重さも痛感している。知人に自衛隊員になったと言うと、必ず「頑張れ」と励まされる。13年前の自分と同じように、自衛隊員に助けられた被災者は多い。「がれきの下から助け出された自分だからこそ、いまの仕事に生かせることがあるはず」と話す。
震災から間もなく13年。うれしい知らせも届いた。救出してくれた隊員が見つかり、16日午後、自宅跡地で再会するという。そのとき、こう伝えたいと思っている。
「あなたと同じ自衛官になりました」
◇
6434人が犠牲となった阪神大震災から、17日で13年を迎える。あの時の被災体験を胸に抱き、その後の人生を決めた人たちがいる。自衛隊員になった少年、ボランティアに奔走する女性トラック運転手、消防士、医師…。13年前を忘れず、今を生きる被災者たちを追う。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/080111/dst0801112205005-n1.htm
阪神大震災という悲しい出来事からでも、こういった正のスパイラルを起せるというのは、正直うれしいですね。
お隣の国なんかでは、救助されても逆切れするくらいだから無理だろうけどね。
とにかく、がんばってほしいです。
しかし、こういった報道がなぜ増えないんでしょうかね。
朝日、毎日なんかは、自分達の正義を振り翳すのが報道の役目と勘違いしてるとしか思えんしね。
そういった糞メディアには、とっとと退場してもらいたいものです。
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