最新朝鮮事情ー朝鮮の人 上 ー
投稿者: monjujz 投稿日時: 2013/01/26 20:14 投稿番号: [1064 / 1322]
朝鮮の人は如何(どん)な人かと謂(い)ふて別に異(かは)つたことは無い、同じ種類の東洋人、其色合から背恰好、髪や毛の黒いところ迄、皆日本人によく似て居る、鉄道の改札係や学生など、髪を斬り洋服を着て日本語を遺ふて居るのは、日本人と少しも異りは無い、朝鮮人じやと知つて注意して見ないと日本人かと見間違へる、其容貌(かたち)骨格の大抵相同じやうなのと、言語の脈筋や文法が全く同じやうなのと、古代風俗の互に能く相似て居るなどゝは、日本人と朝鮮人と同じ一つの模型(かた)の人種であるといふことが思はれる。
只よく見れば何処と無くボンヤリした所があつて、口をあけ眼がどんよりとして何か足らぬかのやうに見える、併(しか)し何も足らぬことは無い、日本語も早く覚える、一通りの事務もできる、只面倒な勘定事や何(な)んどになると、どうも得堪へられぬ有様であると、或る朝鮮人を使ふて居る人の話しであつた。
朝鮮人は一体に男子は顔が長がくて、気の長いのを表はして居る、併し女の顔は短かいのが多いやうじや、口元や顔の按排(あんばい)式は何処と無く無頓着の性(たち)が見えて、実に衛生じやの病気じやの無頓着千万、そこになると悪るく言ふやうじやが人間よりか獣類(けだもの)に近いと謂ふても宜いやうである。
道を歩るくにもノソリ/\牛が歩むやうに、又訳も無く道側(みちばた)の名も知れぬ草の芽など取つて喰つて居る、大きな棒でなぐられてもシイて痛そうにもせず、あちらに行け邪魔になると追ひまくられてもブラリ/\愚図ついて居る有様などは、牛に近いと言ふて可(よ)い。
雨の降る日には仕事はしない方で、又寒い日など終日(ひねもす)家の中で、遊惰に耽り雑談して、人の責務とか、勤労とか、時間の大事な事など更に観念は無いらしい。
尤も雨天に仕事をしないのは、前に朝鮮の山朝鮮の川のところで説いたやうに、雨が降ると田や野も道路も皆水になるのであるから、仕事をしやうと思ふても出来ない有様で、自然雨の日には仕事はしないことに習慣がなつたものであらうか。
隨(したがつ)て朝鮮には雨具の用意が極めて少ない、殆ど無いといふてもよい、笠とか傘とか謂ふものも無い、只どちらともつかない極小(ちいさ)い小児(こども)の弄物(おもちや)見たやうな油紙で拵(こしら)へたのであつて、之れは只笠即冠(かんむ)り帽子を覆ふだけで、其外に身体を覆ひ雨や雪を防ぐものは更に無い、下駄の如きでも只木を�劃(く)つたばかりで実に不細工千万の物である、尤も今頃は漸々(だんだん)日本の傘や蝙蝠(かうもり)傘の類が輸入されて、之を買ふて有(もつ)て居る者は自慢げに持ち歩いて居る。
であるから雨具も入るやうに朝鮮人を雨の日にも働かそうと思へば、雨の関係を究めねばなるまい、即ち雨が降つても田野や道路が水にならないやうに、仕事をせうと思へば出来るやうに、治水即河川の修理をしてやらねばならぬと思ふ、今日の有様では先づ雨の日には仕事しやうと思ふても出来ない所が多い、尤も何処も何処もそうといふ訳では無いから、其元は彼等の柔惰無気力によるのは謂ふ迄も無い、雨水の氾(はび)こるのを打ち捨ておくのも実に其懶惰(らんだ)からである。
又五六人以上朝鮮人が居るうちには必ず二人は痘痕(あばた)のものがある、これは衛生の思想の無い明かな証拠で、天然痘が流行しても種痘をして之を予防するなどの考へもなければ、又其道も開けて居ない、だから今時日本の内地には痘面(あばたづら)の人はメツタに見られないけれども、朝鮮では到る所に之を見ることができる、併し今では種痘も漸次広まりつゝあるそうである。
朝鮮は概して飲料水がよくない上に、朝鮮人の無頓着なることは、雨が降つて河水が赤濁りに濁つて居つても、之を濾(こ)して用ゐるなどの考へは、更に無い、そこで赤痢じやの、腸窒扶斯(ちぶす)[引用者註:腸チフスのこと。]などの病気が兎角発生し易い。
以上は朝鮮人の一体に無頓着で、不精なたちである一端を説いたのである。
只よく見れば何処と無くボンヤリした所があつて、口をあけ眼がどんよりとして何か足らぬかのやうに見える、併(しか)し何も足らぬことは無い、日本語も早く覚える、一通りの事務もできる、只面倒な勘定事や何(な)んどになると、どうも得堪へられぬ有様であると、或る朝鮮人を使ふて居る人の話しであつた。
朝鮮人は一体に男子は顔が長がくて、気の長いのを表はして居る、併し女の顔は短かいのが多いやうじや、口元や顔の按排(あんばい)式は何処と無く無頓着の性(たち)が見えて、実に衛生じやの病気じやの無頓着千万、そこになると悪るく言ふやうじやが人間よりか獣類(けだもの)に近いと謂ふても宜いやうである。
道を歩るくにもノソリ/\牛が歩むやうに、又訳も無く道側(みちばた)の名も知れぬ草の芽など取つて喰つて居る、大きな棒でなぐられてもシイて痛そうにもせず、あちらに行け邪魔になると追ひまくられてもブラリ/\愚図ついて居る有様などは、牛に近いと言ふて可(よ)い。
雨の降る日には仕事はしない方で、又寒い日など終日(ひねもす)家の中で、遊惰に耽り雑談して、人の責務とか、勤労とか、時間の大事な事など更に観念は無いらしい。
尤も雨天に仕事をしないのは、前に朝鮮の山朝鮮の川のところで説いたやうに、雨が降ると田や野も道路も皆水になるのであるから、仕事をしやうと思ふても出来ない有様で、自然雨の日には仕事はしないことに習慣がなつたものであらうか。
隨(したがつ)て朝鮮には雨具の用意が極めて少ない、殆ど無いといふてもよい、笠とか傘とか謂ふものも無い、只どちらともつかない極小(ちいさ)い小児(こども)の弄物(おもちや)見たやうな油紙で拵(こしら)へたのであつて、之れは只笠即冠(かんむ)り帽子を覆ふだけで、其外に身体を覆ひ雨や雪を防ぐものは更に無い、下駄の如きでも只木を�劃(く)つたばかりで実に不細工千万の物である、尤も今頃は漸々(だんだん)日本の傘や蝙蝠(かうもり)傘の類が輸入されて、之を買ふて有(もつ)て居る者は自慢げに持ち歩いて居る。
であるから雨具も入るやうに朝鮮人を雨の日にも働かそうと思へば、雨の関係を究めねばなるまい、即ち雨が降つても田野や道路が水にならないやうに、仕事をせうと思へば出来るやうに、治水即河川の修理をしてやらねばならぬと思ふ、今日の有様では先づ雨の日には仕事しやうと思ふても出来ない所が多い、尤も何処も何処もそうといふ訳では無いから、其元は彼等の柔惰無気力によるのは謂ふ迄も無い、雨水の氾(はび)こるのを打ち捨ておくのも実に其懶惰(らんだ)からである。
又五六人以上朝鮮人が居るうちには必ず二人は痘痕(あばた)のものがある、これは衛生の思想の無い明かな証拠で、天然痘が流行しても種痘をして之を予防するなどの考へもなければ、又其道も開けて居ない、だから今時日本の内地には痘面(あばたづら)の人はメツタに見られないけれども、朝鮮では到る所に之を見ることができる、併し今では種痘も漸次広まりつゝあるそうである。
朝鮮は概して飲料水がよくない上に、朝鮮人の無頓着なることは、雨が降つて河水が赤濁りに濁つて居つても、之を濾(こ)して用ゐるなどの考へは、更に無い、そこで赤痢じやの、腸窒扶斯(ちぶす)[引用者註:腸チフスのこと。]などの病気が兎角発生し易い。
以上は朝鮮人の一体に無頓着で、不精なたちである一端を説いたのである。
これは メッセージ 1063 (どんぎゅう さん)への返信です.
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